2010年3月29日月曜日

依存心。


昨日は花見。うん、寒かったよ。花も、ぼちぼちだな。でも20人くらい集って、楽しかったよ。
昨晩から肋骨の辺りが痛むのだが、冷えたのか。

ラグーとファルファッレを持って行ったのだが、残ったので今日温めて昼飯にしよう。



「ついったー」始めました。探してみてね。しかしあれ面白いのか?
まぁ独り言の延長みたいなもんだよな。



CREAM の Disraeli Gears を集中的に聴いている。1967年。
CREAM のスタジオ盤って、なんだかおマヌケな感じがして面白いね。当人達も分かってて演ってるんだろうけれど。ライヴでの轟音ハードロックと違って隙間の多い音録りとブルースとエリックの柔らかいコーラスワークとか。
一歩引いた洒落具合が良いよ。



ここのところ最近、とある女性にもの凄く入れ込んでいてだね。常にその人のことを考えていたのだよ。そしてその人のことを考えると非常に心が苦しくなる。
ところがだ。その人は全くもっておいらのタイプでは無い。ルックスも性格も人生のヴィジョンもね。
「一緒になるべきでは無い」人物だ。だから表向き、一切そんな感情を出さずにいる。

「結局なんなのだろう」と一生懸命解明してみたところ、失業することで頼るものが無くなり、それを誤摩化す為に「執着する対象」が必要で、執着することで精神の安定を図ろうと無意識に思っていたのだろうと思う。

川で溺れて流れているので、掴まっても仕方無い流木にしがみついているような感覚だな。
おいらってもの凄く依存心が強いんだよ。そんな駄目な自分が嫌い。

そうやって自分の感情を整理して考えてみる訳だ。


さて早く仕事見付けないとな。あと正しい愛情を注ぐ対象とかね。
 

2010年3月21日日曜日

アブサン全力疾走自堕落。

バーの女給さんが来週で辞めるとのことで、顔出しに行った。神楽坂のビアバー。

3年か4年いたらしいんだが。彼女が最初に店の様子見に来てた日を覚えているので、うーん、それから流石に「4年」は経ってないと思うのだが。でも3年は経ったのか。
沢尻エリカがメディアの前に立ったのは2年半振りだったんだってね。クローズド・ノートは観に行ったから、それから2年半か。うーん。
年のとり方が分からんよ。


「失業者」だから、電車代はもったいない。チャリンコで早稲田通りを突っ走る。今の家に越す前は、毎朝チャリンコで10分弱の全力疾走だった訳で。学生の頃は金が無いから暇つぶしに盆の銀座を夜中チャリで走るなんてことやってたな。パトカーにつけられた。
久々の疾走に太腿が痛くなりながらも、中々いい気分だった。どっちかと言えば、引っ越した後の6年間の方が間違ってるんだ。チャリンコで全力疾走。
これが忘れていた本当のあたしのライフスタイルだ。


ビアバー。2杯分入る大きなグラスで白ビールを飲みつつラザニアを喰う。
グラスが空く。

女給さんのイメージで、アブサンを一杯。
「じゃ、わたしのスタイルで。」
アブサンと氷の入ったグラスと水の入ったグラスを出される。
ちびちび氷にアブサンを注いで、水を入れて白濁させて舐める。

「自堕落な味がするな。」

そういうと鼻で笑われた。

ビアバーなのに、次にマティーニを頼む。この店でマティーニを頼むのはあたしだけだ。店主もあたしも「お遊び」でやってんだが。偶然「料理用に」ノイリープラットを仕入れたのを見てしまったのだ。ノイリープラットなんて、マティーニにしなきゃ減らないんだよ。
「お遊び」のマティーニは「お遊び」の味がして、それはそれでいいんだ。
遊んでくれる人がいるだけ幸せだ。


自転車で全力疾走。なんだかいい言葉だな。
全力疾走をしなければ墜落するだけだ。忘れていただけで、まだ走れるよ。
 

アブサン全力疾走自堕落。

バーの女給さんが来週で辞めるとのことで、顔出しに行った。神楽坂のビアバー。

3年か4年いたらしいんだが。彼女が最初に店の様子見に来てた日を覚えているので、うーん、それから流石に「4年」は経ってないと思うのだが。でも3年は経ったのか。
沢尻エリカがメディアの前に立ったのは2年半振りだったんだってね。クローズド・ノートは観に行ったから、それから2年半か。うーん。
年のとり方が分からんよ。


「失業者」だから、電車代はもったいない。チャリンコで早稲田通りを突っ走る。今の家に越す前は、毎朝チャリンコで10分弱の全力疾走だった訳で。学生の頃は金が無いから暇つぶしに盆の銀座を夜中チャリで走るなんてことやってたな。パトカーにつけられた。
久々の疾走に太腿が痛くなりながらも、中々いい気分だった。どっちかと言えば、引っ越した後の6年間の方が間違ってるんだ。チャリンコで全力疾走。
これが忘れていた本当のおいらのライフスタイルだ。


ビアバー。2杯分入る大きなグラスで白ビールを飲みつつラザニアを喰う。
グラスが空く。

女給さんのイメージで、アブサンを一杯。
「じゃ、わたしのスタイルで。」
アブサンと氷の入ったグラスと水の入ったグラスを出される。
ちびちび氷にアブサンを注いで、水を入れて白濁させて舐める。

「自堕落な味がするな。」

そういうと鼻で笑われた。

ビアバーなのに、次にマティーニを頼む。この店でマティーニを頼むのはあたしだけだ。店主もあたしも「お遊び」でやってんだが。偶然「料理用に」ノイリープラットを仕入れたのを見てしまったのだ。ノイリープラットなんて、マティーニにしなきゃ減らないんだよ。
「お遊び」のマティーニは「お遊び」の味がして、それはそれでいいんだ。
遊んでくれる人がいるだけ幸せだ。


自転車で全力疾走。なんだかいい言葉だな。
全力疾走をしなければ墜落するだけだ。忘れていただけで、まだ走れるよ。
 

2010年3月18日木曜日

痛み。

会社を辞めたら苦労すると思っていた。予めね。

ところが、実は先週の土曜日、ふとした切っ掛けで非常に条件のいい仕事を見つけたのだった。全くもって、いや総てでは無いが、かなりあたしの探している仕事と一致する部分があった。これは非常に幸先がいい。
あたしって、やっぱり強運の持ち主だな。そう思った。

月曜日の最終出社深夜まで会社で仕事をし、心機一転火曜、水曜とその仕事の下調べを続ける。朝起きて午前中にその仕事を調べる。よし、いい話だ。
3月中は会社に在籍なので、3月から新しい仕事を始めるとしたらどうするんだろう?面倒だな。
水曜日の下調べを終え、意を決して電話を入れる。話を聞く。ん?なんだか条件が違う。聞いてた話と違うじゃない。

結局仕事は成立しなかった。


最初から悲観から入ればいいのだが、一旦楽観的な頭になってしまうとちょっとした躓きが痛い。激しく動揺する。慌ててネット上で仕事を探したが、立て続けに3つ成立しなかった。ようやく気持ちが初心に戻ってきた。

これが現状だ。

ちょっと最初の「一旦楽観モード」が余分だったな。
夕方部下から仕事の相談を受ける。まぁあたしが残してきた仕事だから、相談、というよりは自分の後処理なのだが。他人に尻拭かせてんのか。まあいいや。電話で話をする。明確に指示が出来る。
以前の仕事であれば、トラブルが起こっても総て自分の掌の上で起こっている事だったが、今、「掌」も何も無い赤ん坊みたいな気分だよ。
just like a Baby


気分を変えよう。そう思った。耳に穴をあけた。医者で針が貫通する。
鈍い痛みが続く。


痛みというのに、種類があるんだ。それを認識した。痛みというのは、切り裂かれるような気分だとばかり思っていた。いい歳して、今更知ることもある。

鈍い痛みが続き、掌を握りしめる。
 

2010年3月16日火曜日

the show is over 。 

3ヶ月に渡る「退職劇」に幕が降りる。

12月25日の辞表提出から始まり、最終幕は夜の23時半まで客や協力機関と話を詰めるという嫌味な幕引きだった。

「明日も来るんですよね?」

と何人にも言われたが、終わりはきっちり付けないと。もうあたしの目は別のものを見ているよ。

the show must go on 。 それでも僕らは生き続ける訳だから。
 

2010年3月13日土曜日

フィフティーン・イヤーズ。

朝、猫を病院に連れて行き、帰りにスーパーに寄ったら潰れていた。

決して良いとは言えなかったが、昔ながらの八百屋・魚屋・総菜屋の集合体みたいな人の手を経てる感じと、値段の安さが気にいっていたのだが。
別の大きなスーパーに寄ったら勝手が違って使い難かった。まだあるうちに値段を比べとけば良かったのだが、やや高い感じがするし、キウイがバラ売りしかなかった。


昼前に携帯電話をとうとう人生初の試みとして購入し、酒屋でマルサラ酒とテキーラとラフロイグを購入した。

携帯電話とラフロイグは、我が家に初のお目見えだ。

機械に弱いので、携帯電話をいじるのに疲れる。ラフロイグを舐めながらジミヘンを聴き、自分の経てきた年月について考える。

 ・4年   大学
 ・6年   小学校
 ・6年   楽団
 ・6年   今のマンション
 ・8年?  3番目に住んだ家(実家)を出て行くまで
 ・11年?  趣味の学校
 ・15年   勤めた会社
 ・23年   ペットのすっぽん(実家においてきた)

まぁすっぽんは置いといて、こうしてみると会社勤めは長かったな。
今度の月曜日でその最後の出社なのだが、なんだか15年という歳月は非現実的で把握し切れない。

いろんなころがあったようで、なにも無かったような気もする。
わたしがいなくても会社にとっての現実は転がり続ける。
また誰かの15年の一部が転がる。

わたしも自分のレールの上を転がるしか無いのだがな。
縁があったら、また新しい誰かとレールが交わるのだろう。
その時はよろしくね。
 

2010年3月12日金曜日

ぎんなん。

八幡宮の銀杏が倒れたらしい。鎌倉三代目将軍、実朝が公暁に切られた現場である。

「父の仇かく討ったり。」

公暁は鎌倉二代目将軍頼家の子であり、実朝は叔父にあたる。
頼家は母の北条家よりも比企家に親しく、病床に伏している間に北条家により将軍職を追われ、隠居生活をしているところ入浴中に暗殺されたとのこと。

歴史というのは時の為政者により都合良く書かれるものであり、父頼朝の急死後若くして将軍になった頼家は、御家人の秩序も知らぬ戯け者として記されている。

しかし実際のところはどうだったんだろうな。
老獪な御家人衆に体よくあしらわれたのでは。というのはどうですかね?

北条に親しかった実朝も暗殺された事により、天皇家の血をひく源の将軍は絶える。北条の執権政治がここに始まる訳で。

頼家の死も実朝の死も、仮に北条の策略としたならば、如何なものか。
「腹を痛めた実子を二人、家の為に殺させた北条政子」ということになるが。
いや仮の話ですよ。

でも、そんなことが全く無い、と言い切れる程、世の中は澄んでいる訳では無いのかな。
などと銀杏の件から考えてみた。


さて、わたくし今後どう生きたらいいでしょうか?

2010年3月11日木曜日

ベルボトム・ブルーズ 。

家では滅多に蛍光灯を点けずに60wと30wのレフランプで暮らしているのだが、珍しく蛍光灯を点けたまま眠り込んでしまって、昼夜の感覚が分からなくなり、ひたすら眠りながら妙に世界から隔絶されたような気分になってしまって、悲しくなった。


変な時刻に目覚めたがダイキリでも作ろうと思って、シェイカーに製氷機の氷と凍てついたバカルディを注ぎ振ったのだが、シェイカーの中で凍り付いてしまって氷が動かなかった。最近買った冷蔵庫効果。
こりゃまた研究が必要だな。妙に苦い味に仕上がった。


大学生になった頃にカノジョを作ったのだが、後から考えると何となく都会の一人暮らしが寂しかったというのがその動機だったかも知れん。
会社辞めたら、またカノジョが出来そうな気がするよ。女の子にやたらとストレイトに迫れそうだ。
どこかに帰属いていたいんだろう。どんな小さなつながりであってもね。


パティ・ボイドの自伝は、ようやくジョージ・ハリスンと離婚しエリック・クラプトンと暮らし始める段にきた。

エリックはどこぞの貴族の娘とヘロイン中毒の暮らしをしつつ、パティの妹とも関係を持ち、パティへの叶わぬ恋の為により深くヘロインの森へと入り込んでいったとのこと。

いや、なんだこれ。

パティの妹ポーラは、ドミノスのレコーディングに立ち会っていて、出来上がった「いとしのレイラ」を聴かされたという。誰もがその内容がなにを意味するか分かるような露骨な歌詞に、彼女は自分が「姉の代用品でしかない」ことに傷つき、エリックの元を離れたという。

エリックといえば、日々自分の親友ジョージの家(にいるパティ)に手紙を書き、夫と別れて自分の元に来ることを懇願し続けたそうだ。

あたま、おかしいぞ。
おいら普通でヨカタよ。

ちなみにベルボトム・ブルーズは、エリックがパティに贈ったアメリカ土産のベルボトムのことらしい。ようやく意味が分かった。横恋慕の象徴だったのねん。


夕方母に電話をしお茶をねだったが、大阪での姪の結婚式帰りで疲れていたようで、機嫌が悪かった。間が悪い。