2011年5月23日月曜日

くるまや。

依存心が非常に強い。と思う。

といいつつも、これが「強い」のかどうかについてはあまりよく分からない。というのも「強い」のか「弱い」のかは比較対象が無いと分からない、相対的なものような気がするから。

絶対的に
「あなたは依存レベル13です。日本人成年男性の平均は9ですから、強い方ですね。訓練で11くらいまで下げた方がよいでしょう。訓練プログラム、受けますか?」
とか言われればいいのだがね。

よく夢でうなされて叫んでいるのに気付くのだが、そう、半覚醒状態で夢なのが分かりつつも怖い、そういうこと。多分、内容的には他人から見たら 「ネガティヴ」な要素がほとんど見つからないようなことが多いのだろうと思う。そんな内容でも勝手に苦しくなれるという器用なわたし。

んで、さっき観た夢というのが世間的にはごく当り前の人間関係の内容だったのだが、とても怖い気分になったのだな。

「自分の居場所が無い」

別に大した内容じゃ無いのに、その中からそういう気分を器用に抽出してとても苦しくなる。
自分の居場所が無い、という状態が怖い。自分のいる場所、そういうものにとても依存しているのだろう。

ここでふと思ったのだが寅さんも「くるまや」が無くなってもあんな暮らしができるかね。あの人も「くるまや」の存在に依存しているからふらふら出来るのではないかね。
結構、人間は自分の弱点を隠すために自分の本来と全く逆のキャラクターを演ずることがある気がするな。
寅さんなんて、まさしくそんなキャラじゃないか?

ってな感じで全然関係無いとこに話を飛び火させて終わる。



昨日は昨日でまたとても嫌なことがあったんだが。「あった」のは一昨日か。
そりゃまた後日。王様の耳はロバの耳、みたいに吐き出したいのだが、現時点では早過ぎる。
 

2011年5月15日日曜日

月と太陽。


なんだか最近人が死んだネタをよく書くな。

上原美優の自殺ってのは、どうにもやり切れん。サンジャポに出て来て、ニュースに対して突拍子も無いおバカ発言したりして、これは賛否あったがおいら結構好きだったよ。
別に「ファン」って訳じゃ無いんだけどさー。好きか嫌いかどっちでもないで分けたら好きの島に入れる。

一生懸命テレビで頑張ってたのにな。なんだか妙に前に出なきゃって空回りしてる時もあったりして。そんな時はちょっと痛々しかった。今から考えると、焦ってたのかな。
ミッツ・マングローブが
「死に様ってのも、その人の生き様だから。 でも早過ぎる。」
とコメントしていて、うん。まだ死に様を形作る歳じゃ無かろうに。24になった直後だろ。自殺っていう人の死に様を、選択として否定はしないけどさ。まだ「生きるべき」だったと思うよ。他人に対して「べき」なんて言葉使って悪いけどさ。

ご冥福を。



話、変えよう。

テレビ東京の大江麻理子アナウンサーが、いいんだよな。
モヤモヤさまぁ~ず、アド街ック天国や、報道関係に出てるらしい。硬軟使い分けられるテレ東の看板アナ。

とか言って、実はあんま知らないんだよ。モヤモヤさまぁ~ず観てたら、三人の絡みがまたいいんだよな。それくらいしか知らない。
以前テレビ朝日の大木優紀アナウンサーがお気に入りだったことがあったが、彼女も「くりぃむナントカ」での有田や上田との絡みが良かった。
アナウンサーっていう(最近はそうでも無くなっちゃってるが、本来は)堅い仕事の中でのふっと見せる素の部分、そのギャップに萌えるのかね。

なんだかたまに大江アナを嫁にしたい旨の書き込みをネット上で見かけるが、多くの男共が賛同しているのを見て、そりゃ彼女が嫁なら文句無いだろうと思うよ。

んでさ。大江アナが自分の嫁だったら、と妄想する訳さ。

・・・・・・・・・・。・・・・・。

どうもね。おいらの隣にいる大江ちゃんは、あんまり魅力的じゃ無いね。
結局、彼女が可愛いのはさまぁ~ずがその魅力を引き出せるからであって、仮においらと一緒にいても輝かないのだろうよ。組合せって大切。
多分おいらといたら大江ちゃんの魅力は、死ぬ。

ということは、だ。逆に言えばオトコとオンナってのはお互いの魅力を引き出せる組合せである必要があるんだろうな。
そうすると、一体おいらに人を魅力的にする力があるのか?との疑問が湧く。

世には、どう考えたって相手の魅力を消してしまっているオトコオンナの不幸な組合せがあるのも事実だろう。
自分が、一定のタイプの相手の魅力を消してしまうという事については自覚があるんだよな。
じゃあ、誰かを輝かせることができますか?自分。
これがまた難しい。自家発光してくんないかな。とか言ってるからダメなんだよな。

キミはね。僕に愛される喜びを押し隠している時が一番艶っぽいよ。
Hey, You've Got to Hide Your Love Away .
 

十五夜。

日比谷野外音楽堂へPuffyの15周年記念公演を観に行きました。

「わたし達も、そしてここにいる皆さんも、
 15年も続くとは思っていなかったでしょう。
 なに、ここで沸き上る小笑いはホントにそう思ってたってこと?」

15年。ここまで来ると、「『お互いに』『よく』『生き残った』な」と思ってしまう。


15年前。1996年。僕が「大やけど」を負った年。
ああ「自分の心の内側に」と書こうと思ったけれど、実際に高速走行中に自転車が分解するという事故で皮膚の上にも傷を負ったわ。まだ肩にケロイド状の痕が残っている。
1996年の傷は内側にも外側にも痕が残っているということか。

25歳になる年で、回転木馬のデッドヒートよろしく、ああここが人生折り返し地点だな、と思った。
秋には初めて出雲大社に行った。
就職のために切った髪をまた伸ばし始めて、会社と軽く揉めていた。
まだ未来に対して楽天的だった。まだなんとかなるものだと思っていた。欲しいものはきっと手に入るのだろうと思っていた。

結局のところ、25歳というのは何かの「折り返しポイント」でもなんでも無く、それから5500日という太陽の上昇と下降を経て僕の身体は紫外線劣化をした。その劣化の蓄積、そこが今日の僕のいるポイントであるということ。
双六は、折り返すのでは無く、直線上にコマを進めていく。
サイコロを振る。今日止まった升目が、楽しい升目であるように。
日々、そう願ってお天道さまに頭を垂れる。



しかしツイッタばかりしていると、文章が下手になるな。
 

2011年5月9日月曜日

うでまくら。

3日から8日まで休みを頂く。あんまり前の職場ではGWに追加で休んで長期休暇、という習慣が個人的には無かった。もう、少しゆったりと過ごそうと思う。

3日から7日まで実家に帰る。うちの母親は犬猫が苦手な為、猫が歓迎されない。初めて猫連れて帰る直前に、家に猫の檻を買って送った。2層式のでかい奴。
ずっと檻の中に閉じ込めておかねばならない、と思っていたのだが、思いの外母が譲歩してくれていたので結構檻の外で過ごすことも多い。
「家族の外出時」と「夜間」、そして「母がリラックスする時」は檻の中に入れておかなくてはならない。でもそれ以外は出して家の中を探検していたよ。

個人的にはだね。夜間檻の中に入れておく、というのは楽なんだ。毎晩僕は猫に襲われているのだからね。
未明に鑢のような舌でべろべろと腕の内側を舐められる。これが結構痛い。手で僕の身体をフミフミして揉み出す。顔をグリグリと押しつける。
なにがしたくて、なにが切っ掛けでこんなことをするのか分からないのだが。兎に角、ほとんどレイプされるように起される。

これが、檻に入れておくと無い。快眠だよ。

久々に家に帰り猫と二人でいたのだが。ベッドに入り、寂しくて猫の名を呼ぶ。
猫はとんでくる。そして僕の体側に身を寄せて、腕を枕に眠る。腕が重たい。
腕が重たいよ。と思いつつも、猫の小さな頭の温度を腕に感じて不思議な安心感を得ていることは秘密。