2011年6月28日火曜日

ヘイ!フリークス。

※読解力に自信が無ければ、読むな。




朝、ほぼ毎朝通勤途中の駅の構内で盲の方とすれ違う。


その駅は、盲の方が多い。どうも近くに盲の方のための施設があるようなのだ。この界隈に随分と長く住んでしまった僕は、多くのそういった方々とすれ違っている。

しかしその中でも、彼は特別な存在だ。ただの盲では無いから。
背丈も低く、手足も悪いようで、肘と膝が曲がったまま固定され、歩くにも左右の手足を交互に出すでは無く、右手右足、左手左足を同時に出しなが ら、大きく身体をねじって進む。しなりの無い、堅い白杖はカタカタと地面を叩く。ぜんまい駆動のブリキの玩具のように、ガシャガシャと左右(そして上下) に揺れながら進むのだ。

彼をみた初めの頃、大変そうだな、と思った。
身体の動きが難儀だ。いろいろな「大変」を背負ってしまったようなのだな。
しかししばらく日が経ち、かなりの確率で彼に遭遇するようになると、ふとひとつ考えが浮かぶ。
「彼の動きは滑稽なのではないか?」

滑稽。僕は、毎朝心の中で苦虫を潰したような表情で自分の中の感情についての考察をする。いっそのこと、彼に告げたい。
「あなたの動きは、滑稽です。」
それに彼が傷ついたなら、言いようも無い程の罪悪感に一生苛まされることだろう。
もし彼がそれを面白がってくれたなら。
「あなたの動きは、滑稽です。」


さて。僕が以下記すことは、まったくの知識無く、いくつかの記事を読んだだけで書いている事だということをまずは述べておく。

ミゼット・プロレス、というものがあるらしい。あるらしい、でいいのか?もう後継者がいなくてほぼ廃れた、という話も聞く。
それは女子プロレスの前座に行われる、所謂小人症の方々のプロレスだ。身体の小さい分身体へのダメージも大きく危険らしいのだが、それでもエンタテインメントのプロとして、誇りを持って戦っているらしい。
コミカルで、それは笑えるショウなんだそうだ。

もうお分かりだろうが、つまりは「見世物」なんだよ。身障者を笑い者にしているということだ。
そんなこと、世間一般で黒なのか白なのか。誰も分かりゃしない。結構濃いグレイなんだろうな。
だからこそ、表だってその存在を知られる事も無い。会場に足運ぶプロレス・ファンだけが知る存在なのだそうだ。

当然、テレビなんかで取り上げられる事も無い。テレビで取り上げられたら、どうなるだろうね?

「俺たちは、テレビに出たいんだよ。スターになりたいんだ。」

「善意」と呼ばれるトリモチのような粘液によって、彼らは闇に葬り去られる。
「スターになりたい。」という思いは、その場限りの狭い空間で、人知れず半端に昇華される。

自分の想像の中に相手を閉じ込めるのも、酷なもんだ。
話してみなけりゃ、相手がどんな人かなんて分からないね。
 

2011年6月5日日曜日

サージェント・ペパー。

※久々になんか書いたら、ウダウダとまとまらぬ長文。


CDを買いに行く。また既に持ってるヤツのリマスターへの買い替えだよ。高田馬場のCD屋さん。
いくつか候補を持っていたのだが、Paul Simon の「時の流れ」に、とCCRのベスト盤は無かった。両方とも、「定番」だろうに。結局、CD屋という業態の衰退以外のなんでも無いんだよな。
店の装飾はAKB48で彩られる。残念な光景であると共に、これが商売、死活問題ってことだ。いくら「時の流れに」をおいても、何年に何枚かしか 売れないもの置くぐらいだったら、ハケのいいAKB48を置くというのが商売だよ。誰も責められはしない。これが現実だ、ということ。

知人にミュージシャンが多いので、ライヴに極々たまに顔出したりするのだが。
いや極々極々たまにでスミマセン。生で音楽聴くのもいいですよ。
でもな。レコードと言う表現体というものも、それは魅力的なんですよ。これは趣味の問題。

ボクはビートルズで音楽観が作られたので、初期の彼らの絶叫にかき消されながらステージのナカオトすら無い環境でロックンロールする姿も、それに 絶望して弛緩し切ったパフォーマンスする彼らも、そしてステージを放棄してレコーディング・アーティストに専念する彼らも好きなのね。

彼らがステージを止めたのが66年の夏。その翌初夏にリリースされたのが、Sgt.Pepper's Lonely Hearts Club Band 。 これ、語り出すと長くなるから。
今日の主眼はこの内容では無い。

アルバムは、ライヴ・コンサートの様相で始まる。ストリングスの音合わせの後、観客の絶叫に迎えられて登場する軍曹の傷心楽隊。もちろん、これは疑似コンサートなんだけどね。
今の子達に言ったって、ありきたりなんだろうけどさ。みんなこれを真似てるからね、新鮮味は薄れる。でもこれは当時は相当衝撃的なコンセプトだったんじゃないかね?

世界で一番の出し物をやる楽隊が、もうコンサートを二度とやらないらしい。そこで届けられたアルバムが、摩訶不思議な音世界のコンサート・レコードだよ。
一時期下降気味だった彼らの人気も、これで絶対的な域にまで達してしまうのだな。

「当時の技術ではステージで再現することは出来なかった」

とされる。今では、テクノロジーの進歩のお陰で大半は再現出来そうだ。でもなぁ。Lucy In The Sky With Diamonds は、無理じゃないかな?よく知らないんだけど、あのヴォーカル・エフェクトはライヴで可能なのかな? この頃のJohn Lennon はよくテープ・スピードを変えて自分の声を変形させていたからな。


「音楽の進歩ってのは、まるで人間の凄いクリエイティヴィティや情熱によってもたらされると思われてるじゃない。でもね、実際は、テクノロジーの進歩の方が先で、その後に人の表現がついて来てるだけなんだよ。」

以前、長らくシングル曲ってのは3分台が多かった。今でもシングルの曲の長さってのは、それにちょっと輪をかけた長さなんだけど、なんでその時間だか知ってる? それはね。昔SPの片面の収録時間がそれくらいだったからなんだよ。
70年代初期に流行ったプログレッシヴ・ロックの人達も、当時の表現媒体がLPじゃ無くってCDだったら違う表現になってただろうよ。A面、B面 気にしなくて曲が作れるんだからさ。もしCDの時代に Dark Side Of The Moon や Close To The Edge が作られたら絶対違う構成になっていたはずだ。


そして、もうCDすら売れなくなる。収録媒体が変わって来ているのは、明らかだ。
ボクはよく
「最近の日本のバンドマンは普段着でステージ立ちやがって。David Bowie は本気でファンに宇宙人と思われてたんだからな。」
と言うのだが。
そう言いつつも、もう、スーパースターの時代は終わったんだよな。それが現実だ。
人々は日常的に音楽を享受し、特別なものとしての地位から引き摺り降ろされる。
簡単な器材を買う金さえあれば、誰もが音楽を作れるし、世界に向けて発表出来る。(受けるかどうかは別だけどさ。)

David Bowie 。愛してるよ。

Rolling Stones の、Mona という曲が好きだ。
初期に彼らがカヴァした、Bo Diddley の曲。所謂ボ・ビートに合わせてトレモロのかかったリズムギターがうねる。熱を帯びない、冷たいグルーヴが廻り続ける。
でもね。たとえばコンサートで、ボクのリクエストで彼らが Mona を演ってくれたとしよう。
多分、ボクは期待した程の興奮を得られ無いと思う。
何故なら、ボクが期待しているのは、あのレコードの音の肌触り、そのものだから。

音楽ってのにはいろんな要素が含まれていて、そりゃボクみたいな素人が語ったら怒られそうだけどさ。素人なりに コードとかメロディとかリズムとか、超絶テクニックだとかさ。新しいサウンドとか。いろいろあるさ。それくらいは挙げられる。

Eno って人がいてね。Roxy Music っていうバンドで人気メンバーだったんだけど、ヴォーカリストよりモテたので追い出されたって人。
後にアンビエントというジャンルを作っちまった人さ。偉人だね。どんだけ凄いかはここでは語らないけどさ。
そんな彼、幼少期にエルヴィス・プレスリーが好きだったそうだ。Heart Break Hotel が大好きだったんだって。

「ボクは、あのレコードのエコーが堪らなく好きだったんだ。」

この台詞を聞いた瞬間、ボクはもう、自分は音楽家には成れないんだな、と思ったよ。Eno は、エコーが好きだったんだってさ。


ボクは1960年代のロックが好きでね。ずっと、それが好き。
そしたらさ。
「あいつがそれだけ聴いて他を聴かないってのは、実は『音楽』を好きじゃ無いんじゃないか?」
と言う人がいるらしい。

なんなんだろうな?と自分で考えていたら、結局自分が好きなのは、1960年代の、あの音なんだということに気付いたよ。

John Lennon という人が大好きなんだが。60年代から70年代前半まで活躍した人。70年代後半を引退していて、1980年に復活したんだけどさ。
大好きな彼の音楽なんだけれども、1980年にリリースされたアルバムというのが、ダメなんだよ。

なにがダメなのか。 理由は明らかだな。1980年代の、音。

ボクはね、「60年代のレコードの音」が好きなんだよ。これって、音楽が好きってことにはならないのかね?

まぁ別にいいけどさ。