2011年10月29日土曜日

ナン・センス。

うちの猫、4歳だけど多分人間の子供2歳くらいの知能はあるな。でも大体そんなもんだろう。惜しむらくは連中には言語を話すように器官が発達していない。もし発声器官に柔軟性があれば、何かの弾みで言語を解することがあったかも知れないな。

妄想ですがね。

何回か紹介したので「またか」と思われる方もいるかも知れませんが、預言者ピッピという漫画の2巻が出たんですね。多分それに影響されたのか、思念というエネルギーについてボケッと考えている。

人類はいずれ肉体を必要としなくなる日が来るのでは。という話。
有効期限の決まった有機的な肉体を離れて、「魂」と呼ばれるエナジーだけで存在出来るのではないか、ということなんだが。
なんだかそれも非現実的では無いような気がする。


ビルの高層階から、東京の電車網を眺める。線路を走る電車はクネクネと地下トンネルを這い回るミミズのように思える。人間は、その腸内細菌か。
(これもよく言うのだが)湾岸地域の高層マンション群は、砂漠の蟻塚のように見えるのだよね。人類は、蟻。

有機体だろうが無機質だろうが、なんだかすべては大きな集合体で、階層構造になっている。何層にも同様の世界が広がる。空に浮かぶ星もひとつの単 位であって、それらが形成する世界の上にはもうひとつ上の階層がある。どれもグルグル動いて入るが、それ自体は大した意味を持たないのだよね。
人類は、何番目の階層で暮らすのだろうね?

結局のところ、僕はナンセンスと思いつつも無神論者では無い。
結構簡単に魂の保存が出来るのではないか。なんてボケッと考えたりもするよ。
 

2011年10月22日土曜日

しょうねん#8。


朝の通勤ラッシュ、アルコール浸しの脳味噌を頭蓋骨で護り、ボテボテと歩く。
JRから地下鉄への連絡通路。酔い覚ましのドリンクをポケットに入れて、地下鉄に乗る前に飲むんだ。永遠の不良中年は大きな人の流れを横切る。

子供の悲鳴が聞こえる。男児。色のついた帽子をかぶった幼児が泣き叫ぶ。それを追い抜く。
前方を見ると同じ帽子の5、6人、多分集団登園ってやつだろうか。保母に手をつながれたような幼児達が後ろをみて立ち止まる。

僕のほんの少し後ろ手、その叫びの主は、40後半だろうか。仕立の良いスーツだ。知的で穏やかで、体型の崩れぬ所謂「よく出来た」男に手首を強く握られ、泣き叫んでいるのだ。

「パパが手を持って痛い。もう嫌だ」
幼児が泣き叫ぶ。父親は

「だって走ったら迷っちゃうだろう。パパが持って無いとどっかいっちゃうだろう?」

「もうパパとは絶対いきたく無い」

困惑した父親が、困った顔で幼児をなだめる。多くを手に入れた、人生後半の男が、己の子供の手綱も取れずいるのだな。
パパとは絶対いきたく無い、のか。

じゃあいかなきゃいいんだ。今日のこの言葉を一生忘れないでおくがいい。



夕方、小学生がバス停に。塾帰りだろうか。
少年同士の会話。

「そんなに何度もいったら、疲れちゃうよ。」

若いくせに、そんなことだけは知ってるんだな。
 

2011年10月21日金曜日

FB。

先日、仕事中プライヴェイトのメイル・アドレスに

「見ましたか?あなたのことを凄く悪くいっているブログがあるんです。これですよ。」

というメールが届く。何となく心当たりがあるので脂汗が吹き出る。
しかし差出人は、関係があると言えばあるが無いと言えば無いような人物。わたしにそんなおせっかいをするような関係の人でも無く。しかも英文だったので、ああ、これスパムなのだな。と気付いた。
まぁ普段から悪く言われるようなことばかりしてるからいけないんだな、と思ったものの、直接わたしを悪く言うような深い付合いの人なんて実は居ないな。と改めて考えるとね。
逆に言えば、悪口を書かれる程に影響力も無いのだよ。と思ったり。


Facebook のアカウント持ってるんだが、使って無い。いや使ってんだけどゲーム専用。
昔から「匿名」でないとネット上では活動しない。以前なら地理条件と容姿の特徴を言えば個人が特定される恐れもあったが、今の容姿なら「色男」という以外に特徴は無いのでまず特定されるこた無いだろう。

でも Facebookって「友達の友達」ってつながりで古い知人の近況を勝手に覗けたりして面白いね。
さっき10数年前にパキスタン人と駆け落ち同然に消えた可愛い同級生の女の子のアカウントを見つけた。彼女、一個歳下なんだが、歳を重ねて更に奇麗だった。どっか英語圏の外国に住んでいるようだった。沢山の異国人の顔をした子供に囲まれていたが、自身の子供なのだろうか。

「女の子ばっかりでこないだお泊まり会やってね。誰か男の子とつき合うなら誰がいいかとかいってたんだけどさ。あたしだったらやや君だな。」

と20年も前、当時イカした彼氏のいたその娘は言ったもんだった。
そう、実は安全が保障された女の人にはモテるのよ。わたしね。


んで、Facebook でさっき誰だか「一人だけ共通の知人がいる」という男性のアイコンをクリックしていたら誤って「友達承認」のリクエストを送ってしまったのだが。これってどうやったら取り消せるんだろう?

その人誰? そして誰の知人?

分からない。どこかのややさんという色男から変なリクエストが来て困惑していることだろうよ。女の人じゃ無くてまだ良かった。ナンパなんかと勘違いされたら最悪だ。ん?ナンパと勘違い?

色男。逆から読めば、男色。
 

2011年10月14日金曜日

朝7時のひとりごと。

 
つまらん。

いやのっけからすみません。別にそんな本気でも無いのですがね。なにか面白いことないかなーと思った次第ですわ。

感情が日常化しやすい質なのでしょうかね。なんか刺激があってもすぐにフツーに思える。


日御碕。10月10日。陽の沈む宮。
カップルが多かったですね。羨ましいもんだぜ。同じ町内で同日駅伝やってましたわ。

別に自分がなんでも知っている、という偉そうなつもりは毛頭ないですけど、それでも中学時代と比べりゃなにを得ても新鮮味ってのは無くなってますわね。
中学の時なんて、小遣いでLPだのCDだの買ったら、滅多に買えないからさ、ずっと聴いてたもんな。
今うちのCDラックなんて何年聴いてないんだよ?はザラにあるしな。下手すりゃ20年近くCDトレイに乗ってないのがあるもんな。
中学の頃なんてエロ妄想でいくらでも時間が潰せたもんだぜ。
童貞バンザイ。 


月がデブだったんで、ヨロヨロと泳がしてみる。10月12日。

カメラなんて子供の頃持って無かったもんな。しかも撮ったもんを家で見られるなんてね。デジタル・カメラだよ。
富士フイルムは巧く単なるフィルム・メーカーからの脱却に成功している。この辺、巧いんだろうな。僕が社長だったら、「カメラと心中するよ。」と言って、自覚的に会社を潰すことだろう。
無自覚に写真を選んだんだが、太陽と月、だな。ほう。


ん? つまりは童貞というのは新たな刺激に対する妄想の期間か。
人生で一番楽しい時期は、童貞の頃なのかも知れんな。

おー自分でも予期せぬ結末。
おバカにつき合ってくれてありがとう。
 

2011年10月13日木曜日

びーとかりきゅらーてぃっく。

※ 結構かったるい独り言ずら。


相当に損得勘定に敏感な人間であると思う。自分のことね。
これ、自分についていえば「ああそうね。」で済むが、他人について言ったらヤな台詞だね。

「彼は打算的だ。」

褒め言葉じゃ無いよな。

あまりネット上で政治や宗教のことを突っ込んで言わないのもわたくしが打算的な人間だからだ。わたくしが本音を言ったら、地球上の1/3くらいは敵にまわすわ。
でも、みんなそんなもんだよな。みんな「今これ言っちゃマズい」と思って黙ってニコニコ暮らしてんのよ。

考えてみるとあまり本音を言わずに過ごしてるね。前の会社でも今の会社でもわたくしが何を考えているかなんて言わないしさ。街歩いてて奇麗なネエさん見かける度に「ファックしたい。」とか言ってたら変態だよ。
なんかそんなギャグ映画が無かったっけ?アメリカ映画かなんかで。全部本音言っちゃう奴。

基本的に、こういった形で文章を書く時ってのは、直接的なインプットをそのままの形で書き記すことは無い。大体、なんか表現上だったり冗句として出来のいいように書き換えてんのな。
一年くらい前か。自転車でいろいろ走り回って楽しかったのだが、ここに書いた時、流れ的にこれは面白く無いように言った方がよいと思ったので、ツマラナカッタような結びにしたことがある。まあ、そんなもんだよ。

去年の3月に前の職場を飛び出して、10ヶ月程プーやって引き蘢っていた。そんで今の会社に拾われて、しばらく暮らしている。今の会社の方が前の 会社よりも自分の時間が持てるのね。これは良いことね。前の職場並にまわりにチヤホヤされるしさ。ありがたいことだ。でも本当のこた誰にも言ってないね。
また核心から逸らし始めたな。

つまりは打算的だということだ。民主主義だ。労働者よ団結せよ、だ。
もう少し、誠実であればよかった。
若い頃は、もっと誠実だった。
しかし誠実であると言うのは、疲れるのだよ。
歳をとって、疲れないように生きる術を体得してしまったのだな。

僕はもう嘘で塗り固めて無難に生きるしか無いのだろうよ。
しかし僕が無難な人間であることの恩恵を受ける人間もいることだしな。
でもあまり直接的に人を幸せには出来ないのだろうな。

などと思ったことだよ。

抽象的過ぎるか? まぁそんなもんだ。
 

2011年10月12日水曜日

明島。

※ オチは無い。ただの日記。


旅に行きました。傷心旅行です。
先日、営業の女の子と客先に行った帰りに溜息をついたら、
「疲れてんですか?」
と聞かれたんで
「いや女の子にフラレタんだよ。」
と言ったら吃驚された。
「えー好きな人とかいるんですか??」

どうも前の職場も今の職場も若い連中はおいらが仕事のことしか考えて無い人だと思っている節がある。まぁ仕事して酒飲んでる印象だけしか無いかもな。
「あの人は仕事の鬼だ。」
と言って辞めてった若い奴がいた。ただの髪の長いあんちゃんに酷い言い様だ。

それはさておき、実際のところ5年毎の出雲詣でだよ。25、30、35、そして今年で40になるので誕生日の朝は出雲大社を参拝と決めているのだ。

流石に4回目ともなると変化が付け難い。今回は須佐神社を加える。日本有数のパワースポットだってさ。するとだな。

・出雲市駅→(バス)→須佐神社
・出雲市駅→(電車)→出雲大社→(バス)→日御碕神社

という行程でいい訳よ。ん?松江が入っていないよ。

前回5年前に松江に行った時に、非常によろしい飲み屋を見つけたので、そこへ寄らんというのは如何なものか。人生飲み屋を基点に考えるやや様は思ったことだよ。

「松江に一泊だ。」

という訳で、飲み屋一件のために一泊追加。

松江 明島

7時ころ、松江のホテルにチェックイン!
周辺の飲み屋地図をもらったが、前回の記憶の場所に「明島」の名が無い。ホテルと関係でもこじれたのかね。まぁいいや。5年前の記憶を元に、店を探す。

川沿いだ。宍道湖に注ぐ。

前回、しこたま飲んで隣の「安来節の師匠さん」に気に入られ、もう一軒誘われたので胃の中の酒を一旦川にリヴァースした記憶がある。
川沿いを歩けば、なんとかなるさ。

。。。 川沿いを歩く。住所は控えて来た。しかし島根の夜道は暗い。その上、軒に住所番地を書いてないのな。川沿い歩いても番地も分からんし記憶 の場所がよく分からん。川沿いを往復する。祭の囃子の練習の太鼓と笛の音が響く。太鼓は水平に置いた大太鼓で、数人で囲んで叩く。皮の張りが緩く、ブ ヨォーンとした轟音が響く。そして、明島は、無い。

松江の南口のあたりを徘徊する。記憶の場所が無い。潰れたか?でも家でネットで検索したら出て来たぞ。潰れたんならネット情報も削除してくんないかな。困ったもんだ。おいらの松江一泊は?来ても意味無いじゃん。ここで、なにしろっての?

途方に暮れる。
しかし、だな。携帯電話ビギナーのやや様は、ようやく携帯電話というものがインターネット検索できるということに気付いたのだよ。
調べてみよう。

松江 明島。

出てくる。地図がある。地図。あれ?川沿いじゃ無いぞ?なんだか記憶と違う場所に店があった。引っ越したのか? 川沿いから少し駅寄りの通りを彷徨う。店の作りは記憶と違うが、明かに同じ名前の看板を見つける。
なんだよ、大将、儲けたのか?記憶の店とは違う、随分と明るく眩しい店になっていた。入口を目指す。店先にメニュー表。その上に、札。

本日は終了しました。

なんだ?まだ8時前だぞ?
しばらく店前で待つ。客を送り出す女将が出て来たので、終わったのか尋ねる。こっちは1人だ。

「ちょっと確認して来ます。。。。。」
「生ものが終わってるんですが、それで良ければ。」

どうやら魚が終わったらしい。なんだ?
店に入ると、5年前にいた板さん親子の顔。しかしカウンターの魚は、確かにほとんど無いね。昨日込み過ぎて魚が切れたらしい。

「魚屋が魚無いんじゃ、商売になりませんわ。」

コップ酒を頼む。両隣、女の子達で、両方とも県外からの客のようだ。女の子相手の隙をくぐって大将に一言。

「越しましたね?」
「いや4年になりますかね。」
「5年前に来たんですよ。」

5年毎に島根に来ていること、前回ふらっと寄ったことを伝える。

「流石に5年前のことは覚えて無いですよ、お客さん。」
「そりゃもちろんね。」

5年前のことを覚えて来た客と言うことで、ほとんど無い魚でいろいろサービスしてもらいはしたが、明島の本気は堪能出来ず。
また東京から5年後に来ることを約束。

コップ酒5杯までは記憶にあるのだが、酔ってなんだか分かりゃしないね。
また松江に来なくてはならなくなりましたよ。
松江に寄った際は、どうぞ、東京から5年毎に来る男からの紹介で。

松江 明島
http://r.tabelog.com/shimane/A3201/A320101/32002424/