2012年1月21日土曜日

MOTHER / その2。 (新年の風景pt2)

《続き。》

正月家族は父母おいら妹義弟甥と6人だったのだが、義弟は夜はホテルをあてがわれた。嫁の実家って大変ね。

実家はベッドが2台、簡易ベッドが2台なので、母ベッド、妹と甥ベッド、おいら簡易ベッド、計4名がリヴィング兼寝室で眠り、父簡易ベッドはPCルームで眠り、義弟はホテル、という構成でした。

甥っ子は糞田舎から突然に人の多い家に来て、初日は興奮していたらしい。夜は早々に眠り込む。
全然関係無いが、最近の子は夜更かしだよな。うちらが子供の頃はドリフ終わったら寝る時間だぜ。ドリフ観せてもらえなかったが。

早々に眠り込む。
早々に目覚める。
目覚めては、泣いた。

甥っ子が、泣く。エーンエーンと泣くんだ。大きな声で。夜泣きってやつだ。
赤ん坊の声は、デカい。よく通るね。よく大人でボソボソとしか喋らない人がいるが、そんな人はボソボソと泣く赤ん坊だったのだろうか。
夜中、突然甥は泣き始める。

キツい。

鼓膜を刺す音声がキツい。夜中に起されてキツい。
という訳では全く無い。(夜中に起されるのは猫で慣れたもんだ。)
あいつ、

「マンマ、マンマ」

ってイタリア語で泣くんだよ。これはキツい。キザだ。日本人なのに。
冗談はさておき、母を呼ぶんだよ。突然に。夜中に。睡眠という闇の中で、穴に落ちて、つかまるものもなにも無く、落下速度は増して行く。吸い込ま れる、いくら落ちても落ちても底は見えない。落下して、潰れたトマトみたいになることは避けたいのに、でも底に辿り着くことも出来ない。落下物のジレン マ。これは恐い。ひとりなんだ。闇の中でひとりなんだ。誰か、傍にいてよ。僕は呼ぶ。

「マンマ、マンマ、エーンエーン。」

おまえの孤独が分かってキツい。
「母」というのは、ひとりじゃない、ということの確認なのだろうと思う。産まれて初めて一体感を得る対象だ。いずれ別人格なことに気付くのだがね。それまでしばしの一体感。ひとりなのが、恐いのかい?
「母」ってのは、人格では無くコンセプトなのだろう。形の無い、依存の対象なのだろうね。依存心が強いと「マザコン」と呼ばれるのだね。でも「マザコン」じゃ無い人だって、他のなにか依存出来るものを見つけただけなんだと思うけれどね。
「母」はコンセプト。 ある意味、幻想だ。

そういやおいらの「母」である脂肪の塊も、すぐ傍で寝ていたな。
あれは一体おいらにとってなんなのだろう?

MOTHER / その1。 (新年の風景pt2)

暮れの帰省で甥に会う。丁度この正月で二歳になった。会うのは二度目で、前回は祖母の葬儀、一歳と二ヶ月くらいだった。
前回会った時は人見知りして表情に乏しく、抱いてやろうと思えば嫌がり泣いて、その上でおいらが知る誰にも似ていなかった。この「誰にも」ってのは「おいらの血縁の」ってことね。
つまりややさん一家の血を色濃くは継いでいない顔だった。

なんだかさ。そうするとさ。可愛く無いんだよ。
別に妹夫婦と交流がある訳でも無いしさ。(物理的距離も遠いし)甥っ子なんておいらにゃどうでもいい存在だった。

猫の方が、可愛い。

うちの猫も連れての帰省だったから、猫の心配ばかりしたよ。もし甥にちょっかい出されて心労でくたばっちゃったりしたらさ。うちの子繊細なのよ。
という思いで帰省する。


久々に甥に逢うとだな。前回の無表情で警戒心に溢れた顔では無く、妙に愛嬌振りまいて、うーだうだなんだか喋ってたよ。

「あかぶーぶ」=赤い自動車。
「しろぶーぶ」=白い自動車。
「にゃあ」=猫。
「まんま」=母親=おいらの妹さん。

とかいろいろ言っている。

するとだな。なんだか妙に可愛らしいんだよな。
相変らず、「ややさんち」系の顔立ちでは無い。義弟の家系の誰だかに似ているらしい。こりゃ失礼だが義弟というのも「色男系」という訳でも無いので、なんだかこれは「赤ん坊の可愛さ」ってやつなのだろうかね。と思ってみる。

「じいじ」と呼ばれて父は笑いながらその呼び名を否定していた。
誰に抱かれても平気なのに母にだけは抱かれるとむずがる。ヒッヒ。子供は悪い人が分かるんだよ。
「志を持って生きろ。常に弱い者の味方でいろ。」
と母が言うと、義弟が
「いや強い者につけ、と教育しています。」
と言う。
赤ん坊でも喰うかとゴーダ・チーズの何年か熟成したものを母が喰わせようとするのだが、喰わない。
「いや、こういうのは食べませんよ。」
「いやこういうの喰うような人になって欲しいと思ってさ。」
「だから食べませんって。」

義弟君。うちの母親がどういう人間か分かって来たかな。こんな親に教育されていきると世を棄てて髪を伸ばす大人くらいにしか成れんのだよ。

などと思って眺める家族風景。 

2012年1月9日月曜日

体調不良。

8日はYahoo!占いで天秤座は最悪の評価だった。なんだか気分が悪かったが、この日を逃すと動ける日がなかったので行ってきました。

房総半島横断。

いや、企画自体もいい加減でさ。

・夏に木更津行った。(理由も無く)
・暮れに木更津キャッツアイ観た、初めて。
・も一回木更津行くか?と思った。
・前回、途中の五井という駅でローカル線を発見したのを思い出す。
・五井からの小湊鐵道と、途中からのいすみ鉄道を
 乗り継げば房総半島横断可能なのを知る。
・ドコエイッタノ?木更津。

って訳で、房総を横切ることにした。
5時前に目覚めて、しっかり朝飯喰って、準備万端家を出たさ。7時台。
でも体調が不良でね。千葉につく前に2回程電車を降りてしまったよ。朝はダメなんだよ。精神はOKだが、身体がダメでね。

夏に木更津へは内房線で行ったので、今回は「外房線から横断、内房線へ」のルートをとることにした。
しかし。外房線にはなにも無かったよ。窓から見えたのは枯れ芒ばかりだつた。

んでも、「大原」について いすみ鉄道 に乗ったら興奮したけどね。すんごい田舎っぷりで、東京の隣の県でもこんな感じか。などと思うのだね。

廃れるローカル線と思ったら大間違いだよ。「トリテツ」さん達がうようよいて、ちょっとした撮影スポットに行けばみんなカメラもって写真撮ってる。
後半の小湊鐵道ではどうやら線路に入って撮影していた輩がいたらしく、運転手が激怒して怒鳴ってた。マナーは守りましょ。


房総半島横断には、二つのローカル線を乗り継ぐ。
外房「大原」寄りはいすみ鉄道、内房「五井」寄りは小湊鐵道。
ふたつの鉄道は、上総中野という駅で重なるのだが、交じってはいない。相互乗り入れしていないから、ここで「切れて」しまうのだよ。もったいない。
ってか乗り入れて無いせいで寒空の下ニ時間も待ち合わせしてしまったよ。しかも駅周辺なにも無いの。蕎麦屋が一軒だけ。駅も風の吹き抜けるベンチ に壁がついたようなもんだしさ。結構拷問だった。なにも無い。この町に尾崎豊が居たならば。大根盗んで走り出すんだろうな。と思った。

二時間待って、ようやく来た小湊線。
これ乗って(途中一駅下車したが)、五井まで出る。横断終了。
特に感慨も無く、一日が終わる。

体調不良で感情も殺されていたのだろうと思う。



《上総中野駅》

《上総中野駅で記念撮影》

《小湊鐵道》

2012年1月3日火曜日

猫。(新年の風景pt1)

あけましておめでとうございます。
正月は毎度実家に帰るので、31日の18時から3日の6時半まで60時間程実家に滞在しました。

今年は妹夫婦が帰省し、義弟がひとり夜間はホテルに追いやられました。父、母、おいら、妹、甥、義弟で、義弟だけ夜ホテルに帰り、朝こちらに来るという生活です。
嫁の実家に行くってのも大変ですな。おいら独り身で良かったですたい。

母方の親戚連中にバタバタと会ってきましたが、親戚というのも面白い人間模様です。おいらが生きなかった人生を生きている身近な人間というのは、何かしら刺激になりますね。
昨春父方の祖母が亡くなって父方の親戚連中と過ごした期間というのもとても刺激的だったのですが、あまりにもダイレクトに公開情報として書き記すのが困難なのでそのまま放ったらかしです。
いつも「自分のことばかり書いて、どんだけ自分好きだよ?」と言われますが、他人のことを事細かに描写することは「出来無い」んですよ、ノン・フィクションでは。


あまり害のない範囲で記録に残そうと思う。
今回の帰省は、甥、この1月3日って今日か、に2歳になる甥のことでも後日書き記そうとは思うのだがね。今日は、止めとく。そうやって書くことも忘れられ去られるのだろうけれども。


pt1。猫。

猫を連れて帰る。うちは母が「ケモノ」嫌いなので、猫の檻を家に組み立てて、母が「リラックスする」時間は檻に入れておくのだね。
うちの猫は、「おいらと共に住む家」が縄張りで、その外は「興味はあれども行きはしない」世界なのだよ。
んでも実家には何度か連れて帰ったお陰で、そこは「害の無いところ」と認識している。

さて。
4年強程うちの猫さまとたった二人で同居しているのだが、猫のおいらに対するべっとり具合は異常だね。言っちゃ悪いが、うちの猫はおいらのことが好きなんだよ。おいら人間には人気無いけどね。人間には煙たがられるがね。
そうするとさ。ひとつ疑問が湧く訳だよ。

「うちの猫は、他に選択肢が無いからおいらに愛想良くしているだけなのではないか?」

つまり、「一緒にいてくれさえいれば、誰でもいいんだよ。んで、たまたま一緒にいるのがこの人間に好かれない冴えないおっさんだということさ。」ってことかい?
これは長年の謎。
うちに人が来れば、誰にでも愛想振りまくからな。

結局、おいら誰にでも愛想のいい奴の愛情なんて信じられないって訳さ。これだけ卑屈な人生を歩んでいるとな。みんなに愛想のいいオンナは信じられないとさ。自分に対する愛情の「確信」を持てるまではね。だから面倒臭がられるんだね。

さて。実家に猫連れて帰る。
うちのおとっつぁんとおっかさんには何度か会ってるのだが、妹、義弟、そして甥(2歳になる直前)とは殆ど接触が無い。

ちなみにうちの猫は、「人間」は平気だが、「犬・猫」は恐怖のエイリアンなのよ。
おいらの懸念としては、「甥(2歳になる直前)」を人間として認識するのか、エイリアンとして認識するのか、、、なのだが。

いざ実家に入るとだね。
おいらの家に居る時の甘ったるい子猫の顔では無くなって、むっくりしたケモノの顔になってしまったよ。成人した「虎」のような顔だね。
んで、警戒して家の中をパトロールしていたさ。妹一家には愛想振りまかないね。
うちの親父にはそこそこ心許しているようだったが。
試しに甥に触らせようとしたら、毛を逆立てて結構危険な勢いで牙を剥いて威嚇していた。

どうやらね。人間の誰が誰たるかを認識しているようだよ。個人を認識出来るのだね。

それでも2晩程過ごすと猫の顔も「子猫顔」に戻り、義弟の近くにも来るようにはなったがね。結局のところ、人間のことを「自分以外の他者一般」という一括での認識では無いようだ。

長年の疑問は解けたと思っていいのやら。
のほほんと、そろそろ5歳になる「子猫顔」の奴と帰京したベッドの上で寝転んでの正月三日であります。んまーい。