だいたい「難解」だと思われるもんを解した振りをするとカッコよく見えたりすると思ってんのかね。
多数の理解を得んものを
「君にはこれの良さが分からないだろうねぇ。」
とかいうと、ちょっと上から目線なのだよ。
そういう奴はやだねぇ。よくいるよね。
というわけで、ジャクソン・ポロック展に行ってきた。
http:// pollock 100.com /
君にはこれの良さが分からないだろうねぇ。
写真載っけてんのはどっかネットから拾ってきた奴。
全盛期のスタイルを確立した頃の作品だな。
いや、この画家、ガキの頃から好きでさ。あんまり絵は詳しくないんだが、ウィリアム・ブレイクとジャクソン・ポロックはガキの頃から好きだった。
新聞の日曜版の美術欄で見たんだ。なんだかスゲェと思ったさ。
まぁ素人であるおいらが理屈で語ろうとしても語れはせんわ。
雨上がりの土曜の午後。国立近代美術館。
美術展ってことでもそんな大したこた無いだろうと思っていたら結構な展数で、しかも時系列に展示してあってとても面白かった。
写真引用した頃の作風は「ポーリング」という技法と「ロール・オーヴァ」という概念を確立した頃のようで、この時期が一般的に知られているようだ。
でもこれを確立するまで結構長くて、それまでの作品もかなり良かった。
ポーリングってのは、「流し込む」ってことで、画材を垂らしたり飛ばしたり叩き付けたりして描く手法らしい。これはポロックの有名な技法だから知っていたが、ロール・オーヴァってのは知らなかったから面白かったな。
カンバスの中に「焦点」を置かないで、全体を均質に捉える考えとのことだ。
(絵って、大概描かれるものを「配置」する訳だからね。)
段々時系列で追って行くと「焦点」が無くなって行くんだよね。
さて。2ちゃんでこの画家のこと、「俺だって描ける」「ガキの落書き」みたいなことを言ってる奴らがいたが、そんな「誰でもできる」ことだったら この画家はこの全盛期のスタイルを壊したりはしなかったろうに。「誰だって描ける絵、しかも超高値で売れる」ならそれを職人技で量産すればいい訳でさ。
(おいらは芸術家も職人も両方同じくらい尊敬するが、もの凄く似て根本が異なる人達だと思っている。で、芸術家っていうカテゴリーの人達が「職人的」になるのがとても嫌いなのね。これは職人を見下しているのでは無く、カテゴリーの包含関係の捉え方の問題。)
話逸れた。
全盛期のスタイルを構築した後、彼は更にその先を目指したようなんだ。
誰でも描けるスタイルで金儲けができるならば、そこに留まれば良かった訳だ。
俺でも描けるんなら、描いて売りゃいいんだ。やれよ。
しかしその次のスタイルってのは、やっぱり魅力が感じられないんだよな。
(ちなみに全盛期の直前にその「次のスタイル」っぽい作品を作っているんだが、その作品は滅茶苦茶良かった。)
本人ももう全然駄目になっちゃたらしくて「描かねばならない」という焦燥感はあるもののなにも描けなくなって、ビール大量に飲んで運転して木に突っ込んで44歳で死んじまったらしい。
なんだかさ。絶頂期に留まらずに、新しさを模索して、んで何もできなくなって死んじまうってのがさ。良かったのよ。
多数の理解を得んものを
「君にはこれの良さが分からないだろうねぇ。」
とかいうと、ちょっと上から目線なのだよ。
そういう奴はやだねぇ。よくいるよね。
というわけで、ジャクソン・ポロック展に行ってきた。
http://
君にはこれの良さが分からないだろうねぇ。
写真載っけてんのはどっかネットから拾ってきた奴。
全盛期のスタイルを確立した頃の作品だな。
いや、この画家、ガキの頃から好きでさ。あんまり絵は詳しくないんだが、ウィリアム・ブレイクとジャクソン・ポロックはガキの頃から好きだった。
新聞の日曜版の美術欄で見たんだ。なんだかスゲェと思ったさ。
まぁ素人であるおいらが理屈で語ろうとしても語れはせんわ。
雨上がりの土曜の午後。国立近代美術館。
美術展ってことでもそんな大したこた無いだろうと思っていたら結構な展数で、しかも時系列に展示してあってとても面白かった。
写真引用した頃の作風は「ポーリング」という技法と「ロール・オーヴァ」という概念を確立した頃のようで、この時期が一般的に知られているようだ。
でもこれを確立するまで結構長くて、それまでの作品もかなり良かった。
ポーリングってのは、「流し込む」ってことで、画材を垂らしたり飛ばしたり叩き付けたりして描く手法らしい。これはポロックの有名な技法だから知っていたが、ロール・オーヴァってのは知らなかったから面白かったな。
カンバスの中に「焦点」を置かないで、全体を均質に捉える考えとのことだ。
(絵って、大概描かれるものを「配置」する訳だからね。)
段々時系列で追って行くと「焦点」が無くなって行くんだよね。
さて。2ちゃんでこの画家のこと、「俺だって描ける」「ガキの落書き」みたいなことを言ってる奴らがいたが、そんな「誰でもできる」ことだったら この画家はこの全盛期のスタイルを壊したりはしなかったろうに。「誰だって描ける絵、しかも超高値で売れる」ならそれを職人技で量産すればいい訳でさ。
(おいらは芸術家も職人も両方同じくらい尊敬するが、もの凄く似て根本が異なる人達だと思っている。で、芸術家っていうカテゴリーの人達が「職人的」になるのがとても嫌いなのね。これは職人を見下しているのでは無く、カテゴリーの包含関係の捉え方の問題。)
話逸れた。
全盛期のスタイルを構築した後、彼は更にその先を目指したようなんだ。
誰でも描けるスタイルで金儲けができるならば、そこに留まれば良かった訳だ。
俺でも描けるんなら、描いて売りゃいいんだ。やれよ。
しかしその次のスタイルってのは、やっぱり魅力が感じられないんだよな。
(ちなみに全盛期の直前にその「次のスタイル」っぽい作品を作っているんだが、その作品は滅茶苦茶良かった。)
本人ももう全然駄目になっちゃたらしくて「描かねばならない」という焦燥感はあるもののなにも描けなくなって、ビール大量に飲んで運転して木に突っ込んで44歳で死んじまったらしい。
なんだかさ。絶頂期に留まらずに、新しさを模索して、んで何もできなくなって死んじまうってのがさ。良かったのよ。