2012年10月27日土曜日

ミッチョン・ポシブル。


随分と日があきましたが、誕生日のメッセージありがとうございました。



10月の誕生日の後に考えたこと。

ボクの年齢というのは見た目からは分からないらしく。勝手に自分では「永遠の28歳」とコピーをつけているのだが、実際「28歳です。」といってもまったく疑われることは無い。一回り嘘つけるのか。我ながら大したもんだ。

大体初対面の30代半ばの人からは歳下扱いされてね。あとで歳がバレると、異様に恐縮される。以前はそれを滑稽だ、と楽しめたものだが、最近は罪悪感が先に立つので早めに言うようにしておる。
日本も儒教の影響下にあるので、年齢というのは社会的に意味があるようだ。ボクは必ずしもそれが正しいとは思わないが。
年寄りを「労る」のは必要と思うけどね。

まぁ見た目が若く見えるようには、影で弛まぬ努力はしているのだよ。遺伝が大きいことは大きいが、それだけでもない。
体型、肌、髪、言動などの要素で年齢の印象は構成されるのではなかろうか。と思う。

思 い返すと、若い頃から「歳をとる」ということに恐怖心が強かった。なんだかロケンローの価値観みたいなものが強かったので、「30過ぎの人は信用する な」ってことかね。ミック・ジャガーなんて70歳近いんだろ?ロジャー・ダルトリーも70手前で今でも「歳取る前に死にたい」っていうヒット曲を歌わされ てる訳だな。

30過ぎて、なんだか社会人的に落ち着いてきて、40手前で落ち着いてられるか、と仕事辞めて引き蘢って、また現在は会社員になってはいるのだが。
今の会社って、ああ、また先日管理職になっちまったが、ボクにとっちゃモラトリアムなんだよな。どの辺が、ということは後日、として。

しかし40過ぎてモラトリアムか。不惑なんてちゃんちゃら可笑しい迷いっぱなしの子羊でございます。


で、なんで自分が「若さ」に執着しているのだろう?と考えたら、ひとつ分かったよ。ボクは「常に」「可能性」を残しときたい人なんだな。と思った。
受精卵は分裂して他のすべての細胞になる可能性があるように、ボクはいつでも「なににでもなれる」状態でいたいと思っているのだ、とね。

まぁこれは人としては未熟であることを表すのだろうが。
それでも社会的に表面は上手く立ち回ってるから許してよ。ダメ?

随分と長いこと「カノジョ」や「嫁」がいないのも、「他の誰とでも関係が持てる」状態でいたいのだろうな、と思った。

しかしな。こういうスタンスで生き続けると、何も成さずに死ぬんだろうな。
上島竜兵。 代表作、これといってなし。
ボクは竜ちゃんか。