2013年3月23日土曜日

桜と日常に必要なもの。


なんだか桜は見ずに終りそうな気がする。いや、花見はせずに、が正しい言い方かな。
月末に花見によばれているのだが、それまで保つのだろうか。まだ3月だというのにね。
前の職場は桜が沢山ある街だった。ちょっとだけ懐かしい。毎年、サボっては桜を眺めていたよ。


昨年は花見の席でテキーラ・サンライズを作ったのだが、今年はどうするのか迷う。ひとつ、モヒートを作るというアイディアがあるのだが、確実にミ ントを手配出来るかということとクラッシュアイスが用意出来るかという点で躊躇。モヒートを普通の氷でやると、葉っぱが口に入るんだよね。ライムとシュ ガーは予め合わせて、ライムシロップみたいにすれば持って行けると思うんだが。


さて、どうするね。




ヌード撮影会には、結局行って来た。
写真を載せられればいいのだが、やはり公開するのはNGなんだよね。


自身のエロはまったく否定しないのだが、今回参加したのはまったくもってエロが目的ではなく、(たまたま裸を商売にしている)ある女性に会ってみたいという目的。
その人に対しては、例え裸であったとしてもまったく性的興奮を得ないんだよ。
それはそれで不思議。


で、向こうさんも「仕事」モードだし、ボクは相手が受入れてくれるかどうかという点に対して非常に敏感な性格なのであまり楽しめなかった。もう少しボクがくだけた人なら良かったのだけれどもね。ギクシャクとした時間でしたわ。
ちょっとだけ映画の話をした。


もちろん、経験としてはとても面白かったね。ボクは経験主義者だから。
写真は、撮られる仕事の人なので、表情が作られちゃうんだよな。
被写体だけはメディアに出ているようなクオリティで、撮り手の腕と器材だけショボイつまらない写真が多くなった。も少し「抜けた」画が欲しかったな。




で、エロ要素無しの(ボクの感受性の問題としてね)裸の人に会ったりしてだ。
も少し日常にエロが必要だ。性的興奮が無いと、歳とっちまうんじゃないか?
エロ大募集だよ。新鮮なエロスが必要だ。脳の活性化。


疲れた。
 

2013年3月9日土曜日

ヌード? 。


前の勤め先では、目の前の仕事のこととか業界の将来とか考えて憂鬱だったんだが。
今の勤め先では会社のことを考えて憂鬱。それくらいダメな職場なんだよね。
まぁボクの求めている条件は満たしているから、いいんだけど。つまり
「会社には何も期待しない。自分の時間を持って、食いつなぐ。」
でも、この環境で働いている若い子達が可哀想なんだよ。若い子達が、将来に希望を持てるような職場でなくてはダメだと思うんだ。だから、ボクは希 望を持つこと、自分の世界は自分で変えること、そして世界はもっと広く、目の前のやり方よりももっと筋だった美しいやり方があるということを示してあげる ことくらいはしようと思っている。
ボクが示してあげないと、誰も示してあげられないような気がする。思い上がりかい?

その上で、ボクは業界の将来に悲観的なんだが。
ボクはもうこの業界ではある程度のところまで行って、思い入れは無い。



WBCが始まった。これ、結構自分の中で大きな楽しみ。これは好きなんだよ。



で、そのWBC決勝が20日朝なのね。

20日に、ヌード撮影会があってだ。それが結構な金額なんだけれども。枠もあんまり空いて無いんだけれども。ちょっと迷っている。
撮影会とか言っても、ボクは大昔のコンパクト・デジタル・カメラしか持ってない訳で。
そしてヌードにも興味は無いんだ。いや正確にいうと、「その被写体のヌード」には興味が無い。興味があるのは被写体の人格なんだけれどもね。
恋愛感情のようなものでは無く「面白い人」、なんて言えばいいのか分からんが「感性が尖った人」で、且つ部分的な知識人である。

べつに裸である必要はまったく無いんだが、どんな人間なのかということに興味がある。
プライヴェイトで話す機会があればベストなんだが、そんなことはまず無いだろうし。
ボクは人見知りで初対面で巧く人に対処出来ないんだよな。思い入れみたいなものがあると余計巧く対処出来ないだろう。

という訳で、高い金払って裸でいる人物に短時間会うことに意味があるのか。などと思う訳さ。
なかなかケチなボクには難しい話だ。
 

2013年3月5日火曜日

あいそれいしょん。

一人暮らしの女性が、年に一度くらい自分が孤独死して白骨化することを想像する、という。だから誰か結婚してくれ、と。

なんかこれいまいち分からんのだよね。2点。

ひとつめ。
この「核家族化」のご時世、結婚して、子供が出来て、子供独立して、旦那が先にぽっくり逝った。そうすると、自分独りしか残らないじゃん。結局一時的に人数が増えても、自分が独り残る可能性は高いじゃない。
だったら、結婚がなにかを解決する訳じゃ無いのよね。

ふたつめ。
もうさ、孤独死は普通だと思おうよ。よく看取られずに死んで、不憫だみたいなこと言うけどさ。この「核家族化」のご時世、孤独死は当り前の死に方だと思わんとさ。
あーららー亡くなってたのね、なむなむ。
こんなもんよ。

おいらあんまり孤独死を怖いと思わない。でもねぇ、今孤独死すると、猫がおいらを食べることになるんだよな。おいらいいんだけど、発見者やだろうな。猫が貪り喰ってんのさ、おいらをね。なかなかのグロだよね。

「看取られずに死んで不憫みたいなこと言うの止めよう」とか言っときながら、うちの猫が(今まで2回)死にかけた時は、看取らねば。と思ったよ。
うちの子は寂しがりやだからね。寂しい寂しいといいながら死なせちゃいけないと思ったんだよ。

そう。寂しいやつは看取ってあげないとね。
おいらは寂しくないから、適当に死ぬよ。あんまり不憫とか言わんで欲しい。
そう思われることが不憫だぜ。
 

2013年3月3日日曜日

妹。

正月に義弟が、
「飯を腹一杯喰わせてもらえないので、結婚して痩せた。普通は結婚して太るのに。」
と言っていた。妹は、一言
「野生動物に太ったのはいない。」

なんだか食事量をしっかりと管理しているんだな。義弟クンは不満タラタラのようなんだが。
しかし以前からこの二人がどうして結婚したのかよく分からんのだよ。

うちの親は、アホな子育てしかしてこなかった割に子供(おいらと妹)の結婚を心配していた節があり、特に妹の結婚の世話はよく焼いていた。 

妹が結婚したお陰で、おいら諦められたがね。一人でも結婚すりゃまぁ気が済んだんだろう。

正直、妹が結婚したときは驚いた。うちの一家は社会性の無い人達の集まりで、親父とお袋の場合は運良く似たもん同士がつかまったのだろう。
おいらは未だ本来は非社会的なキャラクターでありながら、外では愛想よく良い人のように振る舞ってしまうというギャップに苦悩して暮らしている。
妹はおいらみたいに世間体を取り繕うことをしない、「ザ・外の世界なんて関係無い」人なんで、結婚なんてする気もする能力も無い人だとばかり思っていたんだよな。

だから、吃驚したんだよ。

そんな人を嫁にもらってくれる人なんて、また奇特な。と思っていたが。
なんだか義弟クンは価値観が妹と合った、というよりは、単に網が大きかったんではないか。とか思うんだよな。いろいろ後から気付いたんじゃないかな。

さて今日は休みなので、外界に扉を閉ざしてのんびり過ごすよ。
おいらの網は金魚すくいのポイ並みに狭くて破れやすい。