2010年10月1日金曜日

ピンク・ジン。

アンゴスチュラ・ビターズを2振り。ジンを60ml。
パティ・ボイドの伝記を読んでいたら、彼女の祖母が好んで飲んでいたそうだ。
祖母の香りはピンク・ジン。

これは、悪魔の酒だな。堕ちたいときだけ作る。
頭の中は歪に回転し、心は内と外を入れ替えて、口から外に飛び出す。インサイド/アウト。胃粘液は黄色く、触れるものを溶かす。
サイケデリックの昆虫は皮膚下で腐肉を喰い荒らす。ウジ虫は蛹となって悪意の関節をもった羽虫となる。その羽音は、鼓膜を羽根で撫で回す。乳首で体側を撫で回す商売女が、男の絶頂を見届ける前に首元を噛み切る。
緑の血流は床でピンクに変色する。色盲の弟は、意味が分からないと首を振る。緑色の渦は回転する。ただ、その回転が時計回りなのか、その反対なのか、幾重にもなった渦は起点と終点を、それは持ち合わせているはずなのに、あたかも無かったかのように、ただ存在するのは回転しているということ。
回る。渦。色は、色彩は意味を無くして薄れていく。モノクロに近くなったところで、母に尋ねる。色とは?
「色の名前に意味は無い。」
名前によって規定されないものは、区別を持たない。アイデンティティを失ったその塊は、ただ気紛れに回転運動に参加するだけであった。


というところで、酔いが覚めた。ピンク・ジン、一杯目。
 

2010年9月28日火曜日

なんとなく書き出したら同性愛。

動物の同性愛というのは、結構一般的らしいな。

おいらの女っけの無さ具合は有名なので、よく同性愛者の噂を立てられたもんだった。残念ながらおいら「肌の質感」と「肌のにおい」を重視するので男では満足出来ませんことよ。ってか積極的に男は嫌い。
20歳くらいの頃はよく同性愛者に狙われたなぁ。逆に今は狙われなくなったな。いいんだけどさ。

街で男同士女同士2人でつるんでるのって、実は他の動物の行動学的には同性愛に当たったりして(適当に言ってるだけだよ)。
そうすると女とも男とも一緒にいないおいらは、愛の無い生活なのねん。どっちにしてもモテネェんだよ。

朝、初めて中村うさぎ女史からツイッターの返信をもらったのだが、佐良直美の話題だった。30年前にレズビアンがばれて芸能界から消えた人。今なら考えられないよな、という話でした。

中村うさぎ女史の旦那は、ゲイね。だからあの夫婦にはセックスの関係は無い訳ですよ。それでも夫婦という関係が成り立つ、というのが面白い。「夫婦」という概念について、新しい可能性について呈示しているような気がする。

夫婦ねぇ。おいらは性欲の湧かない相手との夫婦関係というのはいろいろ面倒臭そうで嫌だな。夫婦って、なんだ?
うーん、中村うさぎ夫妻の関係にその答えがあるような、無いような。
 

2010年9月25日土曜日

交差点。

自転車にまたがって、気付いたら田端にいた。田端ってどこだよ?

道を走りながら、
「ああここ曲がったら迷っちゃうなぁ。」
と思いながらその角に吸い込まれていく。この癖は治らない。
だから、できるだけ身軽でいなくては。迷った時に、荷物は邪魔だ。
全部さようなら。置いていくよ、猫も。ひとりで強く生きるんだよ。

黙ってじっとしていると、気付かないうちに錘りが巻き付いていたりするものだ。そうすれば、身軽ではいられなくなる。

このまま山手線の外側へずっと外れて行くならば見た事の無い風景を見たのだろうが、そこまでのリスクはとらない。そんな小市民的なところがこの人の限界だ。

上野に出る。いつものような不忍池。いつものような。いつものように。
ストレンジャー・ザン・パラダイスの台詞。
「なんだ、こんな遠くにまで来た筈なのに、 見たことのあるような風景ばかりだよ。」

見たことの無い色。あなたが最後に「それまでに見たことの無い色」を見たのは、いつですか?

へんな交差点を曲がってしまったが為に、それまでに知らなかった通りを沢山通ってしまった。どれも見たことのあるような風景ばかりだった。

2010年9月17日金曜日

猫。

ちょっと嫌なことがあったので、真っ暗な部屋の床に寝そべってストロウベリ・フィールズ・フォエヴァを聴いていた。大きな音で。

嫌なこと、というのは、外的な要因ではなく、自分の中から湧き出て来た負の感情だ。自分の弱さを認めるというのは人間にとって堪え難いことではある。少ない酒で酔いが回る。

ストロウベリ・フィールズ・フォエヴァ。
かの地に行きたくて10年程前飛行機に乗った。おかげで、行きたいところが無くなった。出雲とストロウベリ・フィールドが俺の聖地だ。

それはさておき。

暗闇で寝そべると、気配を感じる。それは体側に近づく。猫。ルビィちゃん。美しき馬鹿猫。
目を閉じたまま、俺は奴の尻尾の先を、意地悪に掴んだ。そして、絶対放さない。

尾を拘束された奴は、抵抗を試みる。試みとして、俺の、腕を、なめまわした。


噛むでも無く。引っ掻くでも無く。奴は、なめる。
俺を憎んで、それでも俺の腕をなめる猫を不憫に思ったので、俺は手を放した。
誰に似たのか。馬鹿な育て方をしたもんだ。
 

2010年9月9日木曜日

もっと。

風が涼しいですね。最高気温は30度らしいですよ。30度と言えば充分に暑い温度なのに、35度が標準の生活を送っていると、もの凄く涼しく感じます。
環境というものに人は慣れるのですね。

岡崎京子の漫画で「幸福を恐れる者は幸福にはなれない」みたいな台詞があって、彼女の漫画ならば誰かの言葉の引用かな、と思いつつ、それは真実かも。
などと思ったり。
人生で唯一「幸福感」のあった頃、「ああ、これはもうこういう感覚は最後だな。」と思った。
言霊だな。次に「幸福感」を得たら、「もっと。」と思おう。

もっと、もっと。感覚が麻痺するくらい。


さーてと。今日は特別することはありません。逆ギレしたい。でもおいらがキレたところすら見たことのある人はいないだろう。感情を抑制するんだな。誰にも分からないように。
っていうか、感情があるのだろうか。愛情は薄いけどね。
 

2010年8月30日月曜日

陰惨っぽい話。

最近夜中にふと考えごとが始まって、しばらく寝付けなくなることが多い。

パタリロ!を枕元で読んでいて、正義とはなにか?を考える。
しかしなぜパタリロ?

正義とはなにか。
それは力である。
力とはなにか。
武力/経済力/自己正当性を論ずる能力。
それぞれ重視比率は違う。前者がより有効。
歴史は勝者のものである。
力のあるものが勝者になるのである。
正しい敗者、誇れる敗者になるのは困難だ、正しい勝者も困難だが。

なんだか正義なんて、どうでもよくなるな。
仮面ライダーやウルトラマンはなにと闘っていたんだっけ?
スーパーマンは地球人に比べれば相対的に力を持っているけれど、産まれた星では標準的な能力なのでは?
正義の味方って、なんだったんだろう?

では力の無いおいらはどうするよ? 
道化にでもなるのだな。

しかしなぜパタリロ?
とか考えていると、眠れなくなる。ほとんど意味が無い。結論があっても無くても有効ではないから。
眠れなくなるという事実だけが残る。



30年前、水泳大会の休憩時によその家族が持ち込んだ漫画「鉄腕アトム別巻1」の中の一篇を読んだのが脳裏に焼き付いて離れず。昨年だったか、Amazon で購入した。

【 アトムの最後 】

これを子どもの頃に読んだのは、多かれ少なかれおいらの人格に影響してるんじゃないか。

「これを描いた時代は急進的な学生運動がはやり、漫画や劇画の内容も暗くてニヒルなものが多く、それらの影響を多分に受けた作品です。いつ読み返しても、陰惨で、いやーな気分がします。アトムはほんのちょっと登場するだけですし、これがアトムの全作品の最後だとは思っていません。」

とは作者手塚治虫の弁。
そんなこと言われてもなぁ。おいらの頭に30年も残っちまったよ。

んで。ストーリーの主流とは関係無いが、子ども向け漫画で子どもに対する恐怖心を植え付けるのってさ。

実は親が「悪」だった

ってのが怖くない?
このパターンって当時よく使われてるよね。母ちゃんがデーモンだったとか蛇女だったとか。
子どもは家にしか拠り所が無いからさ。それが無くなるってのは、マジで恐怖だよ。
うちの鬼母なんかと暮らしてたら、こういうの結構リアリティあって怖かったもんだ。

とか言ってると、最近おいらのそんな戯れ言が洒落にならんような「鬼」が沢山実在するようだな。

陰惨な気分になるね。
 

2010年8月27日金曜日

今宵はきみと。

■
昔、知り合いの編集者が

「オカルト雑誌にいた頃は世を挙げてオカルトブームだと思ってたが、ゲーム雑誌に移ったら世を挙げてゲームブームで驚いた」

と言ってた。人は自分の周囲の小さな世界を普遍化しがち。
自分がいるのは非常に偏った小さな世界に過ぎないという認識を忘れがち。

↑↑

というのが敬愛する中村うさぎ女史のツイッタで発信されていた。
(極々一部改変)

まったくもって同意するのだな。

「どうやら自分の考えというのは世間一般のマジョリティではない」

ということに気付いたところからおいらは始まっているので、この辺は敏感だ。
そしてまた偶然にも「心理学」とか「マーケティング」とかと20年あまり関わってしまったので、その手の思考はさらに強化されたようにも思う。 マイノリティの視点からマジョリティを把握するのだな。

ここが鈍いタイプの人間が受入れ難い。まぁおいらも「正解」というものは分からないのではあるが、少なくとも

「自分の答えに対して常に疑問を持って、自分なりの『肯定的見解』『否定的見解』を反芻しながら持論を形成する」

タイプの人間でないと、付合っていて浅さを感じて鼻で笑ってお仕舞いになりがちだ。

「自分が正しいと思った時点で人間の過ちが始まる」

ものだと思う。 という訳で今日もおいら過りまくってます。


■
AKB48という娘たちも、流石にここまで露出が多いと接する機会が多くなるな。
新曲のタイトルが「ヘビーローテーション」か。言葉の選び方が巧みだな。
いきなりマイナー・コードのサビから始まってポップな平メロってのはBeatles
のShe Loves You と同じじゃないか。

女子高生の制服みたいな彼女らのコスチューム、屈託の無い笑顔(それは作られたものかも知れないが)は、そのまんまファンの

「頭の中で作られてはいたものの、決して存在しなかった自分達のハイスクール・ライフ」

を体現しているのかもな。
重要なのは、それは「決して存在しない」って認識だ。甘酸っぱい高校生活、なんてのはドラマや漫画の中にしか存在しないんだよ。
ほんの少しだけ夢を見たら、現実に帰らないと。夢の中だけで暮せはしないのだから。


■
そろそろキミも意地張ってないでおいらのモノになり給へ。結婚しよう。


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という訳で、「今宵はきみと」。
Bob Dylan の69年の曲だが、Jeff Beck Group の映像が見つかったので。
元曲も、このベック版も大好き。

http://www.youtube.com/watch?v=A8CoC-S1DY4

いい夢見てくださいね。