2010年6月24日木曜日

ぴんぼうる。

夜、暗い店で独り店番をしている。
暇なので、村上春樹の「1973年のピンボール」を読む。15年くらい前から家の本棚にある作品で、当然読んだはずだがあまり覚えていない。またこの人の作品はかつての作品の内容をその一部として取り込んで新しい作品にすることがあるので、もしかしたらこの設定は別の作品で知っているのかも、などと考えるとこの作品の先がどうなるかなんてまったく予想も出来やしない。
村上作品はかつて夏に宿貸しをしてあげてた女が無教養のおいらを憐れんで何冊も置いていったので、そこそこ家にあるのだ。

ただ本作、半分近くまで読んでもまだ「面白く」ならない。バラバラな人、時間のエピソードを細かく羅列している。現時点ではまどろっこしい印象しか無く。最後にはこれらが有機的に結合するのだろう、、と思うのだが、果たして。

作中の主人公は双子の女と暮らしているのだが、しかし。
双子で無いとしても、女の子と暮らしていること自体がおいらから見たら奇跡のような気がする。どうやったらそこまで「気を許す/気を許される」関係というのが成立するのだろう。
と彼女いない歴とっくに10年越えの色男、ややさんは申しております。
多分自分で気付かないだけで、トンデモナイ欠陥を持っているのだろうよ。


ここのところ眠りが浅い。でも昔から眠りが浅い、と言い続けているような気もする。既に夏バテの様相がみてとれる。
今日は学校で7つ歳下の男に歳を聞かれ、答えたところ彼よりもおいらが歳下だと思っていたらしい。まぁこの手の「嫌がらせ」は得意だが。
昔若い頃、おいらは何日も同じTシャツを着て、するとTシャツは「蜜の臭い」がしたものだった。体臭が蜜の匂いなんだよ。
でもここのところの暑さのせいで、とても着ていたTシャツの臭いなんて嗅ぎたくも無い状況だな。
最近なんだか身体から「オヤジ臭」が醸し出されて来たような気がする。歳なんだろうな。身体は変わっていくのだろうよ。

セックスしたいな。きっとそれは孤独で無いことの確認なのだろう。
そう考えると面倒臭い。そう言うこと言っているから、いつまでも独りだ。

あまりにも暇で、店で転がっていたタバコを一服。何年振りかね。
予想外のメンソールだった。なんの重さも感じなかった。
意味が無いことのように思えた。

2010年6月5日土曜日

白と黒。

今晩は、色男です。

勤め人だった頃通っていたバーの厨房の壁に何故か古ぼけたパティ・スミスのCDジャケットが貼ってあり、とはいえそこは会社組織の店なので、既に入れ替わったかつてのスタッフが貼ったのであろうがその所以など今となっては誰も分かりはしない、という状況である。
http://www.mapplethorpe.org/

パティのその有名なデビュー盤ジャケットは、ゲイのモノクロ・フォトグラファがロバート・メイプルソープが撮影したものであるのですが、モノクロ。
2つの色、ブラック&ホワイトのグラデイションで撮られた写真、要素が少なくなれば表現の幅は狭くなり没個性化するのではないか、と頭では単純に考えてみても、その作品の空気感というのは。

人間は空気を持っているので、それが無尽蔵にとっ散らかった人の海に埋没してしまえば空からそれを見つけ出すのは困難だ。神さまは空からわたし達を見守ってくれているのだから。←ホントかい?

彼の写真の乾いたトーンは、日本の湿った空気ではきっと作られなかった色であろうと思った。
湿った空気に生まれ育ったボクは熱せられた土から立ち上る水蒸気が乱す光線の具合を畳の草の匂いに頬を押しつけて、夕方の陽は西から差す。

自分の中から他人の色を除いて、屑酒からスピリッツを蒸留するが如く、純度の高いアルコールは鼻の粘膜を刺激する。

「お前、口の中がひりひりする酒ってのは」
「胃の中も荒らすんじゃないのかい?」

以前母とリカールについて話した時の言葉。それもそうだな。

肉体はしなやかで、艶やかで、歯を立てると皮下の薄い脂肪が気持ち良く。
しかし日本の湿った空気で汗ばんだ身体よりも、乾いたさらさらした肌の方が官能的かも。いや、日本の湯気昇る肌を舐める方が官能的だ。主観の相違だね。

ああ、そろそろお休みなさい。色男がお届け致しました。
 

2010年6月4日金曜日

このところの日常。

眠れない。眠れない、というのは大げさだが、深く眠る前に目が覚め、そして再度眠りに憑くことが困難だ、という感じ。
怠く、手足をベッドに投げ出して身体が重力に任せて垂直に沈む中、意識が薄い眠りの膜を上下して浮遊する。

足し算しか受入れられない性格だ、昔からね。

オトナというものになって、加減乗除総てに対応出来る人間になったのではないか、と自分に期待してみたものの、やはり引き算は苦手だ。
ぼうっと自分のことばかり考えられる日々で、そう結論付けた。この歳でそうならば、一生そのままだろうな。自分の限界が見えるということは、よいことだ。

夜の山手通りを横切る、少しだけ酒を入れて自転車で帰宅。
いつの間にか歩道はブロック貼りに舗装され、なんだお洒落じゃない。まだ工事中だけど。
工事中の歩道を横切って、正面にサンシャイン60が見える。夜風が気持ちいい。

何となく、今日の夜風を楽しむことが出来た、ということがとても特別のことのように思え、今日の贅沢を思うのでありました。