2011年9月12日月曜日

言えないよ。

とてもよい土日だった。

土曜日にあったことは、今は言えない。人生の歯車がひと噛み分進んだ気がした。

日曜日、映画を観に行った。 「監督失格」。
ドキュメンタリーだ。

男と女と、女の母親が出てくる。

男が監督。男はクズだね。人としてね。女はダメだね。
でも男、執念で記録しようとしていて、凄い。
映画のクライマックスの映像は、意図して撮ったものでは無さそうだ。偶然記録に残ったもののようだ。でもこんな映像が残るなんて、奇跡だな。

僕はこの映画が「どんな種類の人間が出て来て」「なにが記録されているのか」を知って観てたので、なにが起るのかを予見出来たのだけれど、何も知らない人がこれを観たらどう思うんだろうな。
そういう疑問が残る。

クズ男とダメ女が出て来て、女の母親がいいんだよ。
この人(母親)、この映画に関わらずちょっとだけ知られた人でね。
全部知っていて観たからなぁ。知らない方が面白かっただろうなぁ。

ダメな人だ、と思いながら、泣けた。
他人に涙出来るというのが新鮮だったよ。自分に対する感想。
ここに記録されていることは、作りものじゃ無くて総てリアルだ。
それが凄い。
普段ドキュメンタリーなんて「あっそうですか」くらいの感想しか持たないのにな。

まだ人に観て欲しいので、ネタバレは書かない。
東京は、九月前半は六本木ヒルズで上映しているようです。

人間ってクズで無様で愛おしい。そう思える。久々に涙腺が使えて良かった。
映画「監督失格」。


酷い感想文だなw

2011年9月9日金曜日

空中モール。

まず書き始める前に言っておく。
オチは無い。
そして長い。


そこそこ有名な心理学科出てるんですよ。今は心理学部になっているらしい。
そしてこれ、謙遜なんてマッタク含まないで、成績悪かったです。
これが出席も何もしないで遊び呆けて成績が悪いならいいんですが、よく無いか、きっちり学校に行って授業を受けていて成績が悪かった。

まぁここについて今日言及する巻では無い。

心理学ってのも一般に誤解されやすいもんで(占いと同じだと思われたりしてね)、学問だよれっきとした。データと統計だよ。事象の客観視だよ。

そこそこ有名なやつで、夢解きってのがあるんだな。ユングか?フロイトか?
これも夢占いとかと勘違いされやすい。
彼が夢に辿り着いたには訳がある。

人間の言動ってのは、常に意識、意識下問わず嘘なんだ。
例えば、ややクンが夜遅く働いていると。そこへ上司がやって来て
「ややクン、大変だね。疲れてるだろ?」
と聞かれたならば。
「いえいえ、こんなのヘッチャラです。まだまだですよ!」
と威勢良く答えるんだよな。本当はクタクタだけどさ。

・この程度でねを上げたら、使えないヤツだと思われる。
・ここで上司の覚え良くなったら出世しちゃうかも。
・オマエなんかに俺の疲れが分かってたまるや。

とかさ。これが意識されてようが意識されてなかろうが、本音を言ってるってこたレア・ケースなのよ。

話逸れるが、そんなことばかり思っていたら、自分が常に嘘で塗りかためられた虚飾のミノムシのような存在に思えて来たね。
もうご存知とは思うが、おいらがネット上で発している言葉ってのはひとつネット上で演じられているキャラクターの発言であって、これがすべて本音だったら怖いよな。

とか思ってみたり。人間は皆嘘つきだってこと。

んでだ。彼は、人に発言させずに深層心理に辿り着けないか考えた訳だ。
そこで消去法で残った、なんとか使ってみようかと思ったのが「夢」だったってこと。
眠っている間に思ったこと、それはコントロールが効いてない訳だから、本音にちかいのでは?って判断だよ。

でも、夢がそのまま本音な訳無いよね。
じゃあどう解釈すんの?ってことで、思ったのが夢、これに出て来るものは「実際」では無くて他の何かの「象徴(シンボル)」だったと言う訳だ。

つまりストーリーが表しているのが何であるのか、そこに出て来るものがなんであるのか、これらを読み解くことで深層心理に辿り着けるのでは?と考えたね。

だからポッとみた夢じゃ説得力が無い。
毎日記録を取ると、なかには「毎回同じ夢」ってのが出てくる。
頻繁にみている夢ってのは、なにか深層心理に結びつくのではないか?

これが夢解きな訳だよ。


ああ。疲れた。途中だけど止めていい?
やっぱりオチが無い。
 

2011年9月4日日曜日

めりごらうんど。

Watching The Wheels という曲がある。
中学の頃、中古レコード屋でシングル盤を買った。当時の僕は手に取るものすべてが新しく、レコードなんてワクワクしながらずっと聴いてたもんだ。
beatles が好きだったので、beatles と、その関連ソロレコードを少ない小遣いで買っていた。そんな時期だ。

Watching The Wheels は1980年に発表されたジョン・レノンのアルバムに入っている曲で、彼が客死した後にシングル・カットされた。
彼の曲というのは私小説的要素が高い曲が多く、ある程度背景が分からないとなにを歌っているか分からんことがあるかも知れない。
1960年代を beatles という世界最大の出し物の一員で過ごした彼は、1970年のバンドの解散後数枚のレコードを制作する。しかし1975年に二人目の妻との間の子が産まれると、それを契機に音楽業界から引退し、子育てに専念する。

メディアは時々彼の近況を報じるのであったが、あのジョン・レノンがキッチンでパンを焼いて子供と過ごしている、というのが世間には衝撃だったようだ。

あんたは頭が狂っちまったのかい?

Watching The Wheels はそれに対する回答。

「俺はもうメリー・ゴウラウンドには乗らないんだ。もう、あれが廻っているのを眺めるだけでいいんだよ。」


中学の頃の僕には(もちろんこの曲の背景は分かっていたのだが、心情として)ふーん、そんな気分にもなるのかい?と思っていたのだが。
実際にジョン・レノンの歳に近くなって来ると、うん、もう乗らないんだよね。

昨日、以前の職場の後輩というか部下というかな男と飲みに行く。
ここのところ数ヶ月、完全に酒が弱くなった。無理が利かない。
前の職場の話を聞くと、誰某が倒れた、誰某が無理が祟って休職、倒れた人達はまだ1年も帰って来ない。とか。

みんなメリー・ゴウラウンドに乗っているんだな。しがみついて。
なんてぽけっと想う。廻り出したら、降りられないんだよ。
僕も高速でぐるんぐるん廻って楽しいな、と思っていたんだろうな。でもふとそこから降りれば、それはそれで滑稽な光景だ。

滑稽というのは、降りた人間の視点であって、別にそれに乗っている人をバカにしてはいないよ。立派だと思う。
なんだかいくつものメリー・ゴウラウンドが僕の遊園地の中で廻っている。
大概は、ベンチで廻っているのをみるだけだ。