2015年5月12日火曜日

以前マザコンについて書こうと思ったのを思い出してだね。

以前、、、といっても数年前かな。ここに「『マザコン』について書こうと思ったのだが、断念した」旨を書いた。
マザコン、についていろいろ調べた結果、定義付けがよく分からなくなったんだ。マザコンの定義次第では、イタリアの男どもは皆マザコンってことに なりかねん、、、とかなんとかだったような。母の言いつけをよく守り、母を大切にするということが定義によってはマザコンになっちまったり、とかだったか なぁ。忘れた。

マザコンについて書こうと思ったのは、多分女性が嫌いな男性のタイプとして「マザコン」が挙がっていたから興味を持ったんだったと思う。
核家族化の中、「自分(嫁)よりも母親の言いつけをよく守り、母を大切にする」男は女(嫁)からすると疎ましいのかね?

で、話の展開としては自分(つまり、色男ややさんのことよ)がマザコンなのか違うのかを検証しようと思っていたんだな。
結論から言うと、判断が難しい。実際の母親に対しては、結構ドライなんだわ。じゃあ、かと言ってこの世から母親がいなくなる、ということが引き起こす喪失感に自身が耐えられるのかね?と思うと、想像が難しい。
愛憎って奴なのかも知れない。憎くても、いてくれないと困る。そういうものなのかも知れん。


なぜか他人に心を許せないのですよね。とか書いて、いや皆そうなのかもな、とか思ったり。
物凄く人から愛されて、優しい言葉をかけられて、多くの人と関わりのある人が「寂しい」と言う。そういう人を何人も知っている。
まぁ「皆」ではないな、でも一定数、多くの人に囲まれて愛情を注がれているにも関わらず「寂しい」人がいるのは事実だと思う。

他人に心を許せない人は、どうやって暮らしているのでしょう?
なんか人間と関係無いものにエナジーを注いで暮らすのかね?
そうやって孤独を紛らわすのかね?

他者承認によって人間は社会的な価値を自分に認めて、暮らすのでしょうか。
あ、なんか話逸れてるか?

まぁいいや。意外と、人との物理的な距離ってのが大切かも知れん。
そんなことをふと思った次第です。
匂いとか体温とかね。匂いとか体温を受け付けない人のことは、嫌いなのかもね。

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