2015年5月11日月曜日

暗い部屋でいろいろ考える。

胎児は暗く暖かく狭いところで独り母親の心音を聞いて日々を過ごす。
暗く暖かく狭く孤独というのは、あまりネガティヴな環境ではないのだろう。閉所恐怖症とか暗所恐怖症とかってのは後天的なものなのかねぇ。母胎の中では、孤独なのか/母を感じているのか。母は内側からでも感じられる存在なのだろうかね。

布団の中にもぐり込んで、膝を抱える状態を胎児の環境の再現をしようとしている、、ということを言う人がいる。まぁ否定する考えも無いけれどね。
胎内ってのは、ストレスが無いのかね?ストレス、というのが認められるのは、どの状態からなのだろう。そういうこと言うと中絶反対派が何かしら言ってきそうだが。生命の始めをどこに置くか、そういう問題になりかねん。

焼けて骨になる、というのと胎内に居るってのは、やはり別だよなぁ。やはり連続した不可逆の流れなんだ。まぁこの世が「(法律上)生きている人」前提で動いているからね。
死んだ人に権利があれば、親の死を隠して年金もらうことも悪くは無くなっちゃうね。


自分が体験したことを他者の中に再現することは、不可能だよねぇ。
ということは、人同士ってのは理解し合え無いことを前提に暮らす訳ですよ。厨二病的に言うとだね。だから分かって欲しくて、言葉を駆使して暮らしてんですねぇ。
言葉が無ければ? セックスでもすんじゃね?喧嘩すると、和解の為にセックスするカップルの話はよく聞くね。セックスは言葉よりも有効ってことか。
敵国の元首とセックスすれば友好国になれるんじゃね? 古来元首は男が多いな。
話は逸れるが、異国間での元首が両方独身且つ異性で、恋に落ちたらどうなるんだろうねぇ。
黒人が大統領になり、女性元首も珍しく無いこのご時世、そういうことも想定し無いとさ。ん?必要ない? あ、そう。

ちょっとね、長らく使ってこなかった頭の一部を使って体操です。
いろいろあるんだよ。
 

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