2011年2月13日日曜日

チョコレイト・ディスコ。

朝からチョコレイト・ディスコのサビがぐるぐる頭の中を廻っていた。
昼過ぎに突然メロディを忘れてしまって、それからというもの壊れて同じところを繰り返すレコードのように続きに到達できない。ぐるぐるだけが頭の中で廻っている。

土曜日の朝、新幹線に乗り田舎に帰る。母方の伯父の納骨式に参列するためだ。他にもいろいろ実家に用事もあったので、よい機会だ。
東京も寒かっただろうが、静岡も、それはもう思考すらが凍結せんばかりに寒かった。午前の墓前礼拝(その家だけが敬虔なクリスチャン一家なのだ)、墓地の冷え込みは想像以上だった。賛美歌を歌い、聖書の一節を説法として聞く。
伯父の死から一年も経つのだが、伯母はひとり涙を落としていた。夫婦というのは、そういうものか。おいらには「夫婦」の経験が無いので分からない。

昼の会食を経て、父母おいらの三人は母方の親戚連中とは別れる。
「母方の伯父の納骨」が目的で帰ったのだが、父方の祖母がそろそろ危ない、と数日前に話があったのだ。

祖母。96歳。ドキュメンタリー映画にもなって、ちょいと静岡では知る人もいる人なのだが。100まで生きると思ったのだがね。
祖母と父の長兄夫妻の住む家にいくと、祖母は眠っていた。ベッドの中で、どこにいるのか分からないくらい小さくなっていた。
火曜日に店に行き(亡くなった祖父が興した店があるのだ)、その二階から、降りられなくなった。階段を降りられなくなった。
多分、それが切っ掛けで気が塞ぎ込んだのだろうという。なにもしなくなって、食事も摂らず眠っている。
別に身体の悪いところなど、無いのだ。ただ、人間が、しおれている。夏草が、秋も深まり、別に虫に喰われるでも無く立ち枯れる、そういう様である。

途中で目を覚ましたようではあるのだが、でももう、なにをするでもなくしおれている。なにもしないがまま頭を垂れる。
伯父も、もう病院などには入れないと言う。医者とは阿吽の呼吸、なにもしないでくれと伝えている。

いい人生だ。理想的だな。人が亡くなる時、それが妙に「悔しく」感じることがあるものだが、祖母の場合は、一言「よい人生でした」と言えるのではないか。
あまり悔しい思いは、誰も残らないと思う。

チョコレイト・ディスコ チョコレイト・ディスコ チョコレイト・ディスコ
チョコレイト。ディ/ス/コ。
突然、いまメロディを思いだした。ああ、スッキリしたぜ。

http://www.youtube.com/watch?v=5JjV71fWq_s

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