2012年2月11日土曜日

ねぇ、元気?

こんなフランクな言い方をしてよいのでしょうか?
もう既になにがなんだかよく分かりません。

正しいとか間違っているとか、そういうことは感じ方の問題です。セクシャル・ハラスメントと同じです。意中の男性から髪型を褒められるとアガりますが、気持ち悪い人から褒められると「それってセクハラですよ。」と冷たく言い放つ。そういう気分は分からないではないです。

ルールというのは、その感じ方を思い出すための道具です。気持ち悪い人から髪型を褒められたら気分が悪かった。それを思い出して、今後そのようなことはされないようにしよう。そういうことです。

自分自身がなにものなのか、よく分かりません。小さい頃は自分がとても正しい人間だと思っていました。スタンダードだと思っていたのですね。でも、万人が共有する価値など無いこと、そして少なくとも自分がそんなマジョリティで無いことを悟りました。

すると、今度は自分が変な人間ではないか?と思ったのですよ。変ならば、では変なりに生きるのもいいか。そう思って過ごす。

でもね。田舎から都会に出てくるとね。まわりは変な奴らばっかり。自分がとても常識的な人間に思えるのです。こんな変な連中並には成れんわ。いや、やっぱり自分は「超」普通な人間なんだな。奇をてらった生き方は、お前には無理なんだよ。人並みに暮らしなさいよ。

でもね。それでもやっぱり人並みからは浮いてしまうんです。世間に身を置くと変な人扱いなんですね。
いやぁ一体どこに居場所があるんですかね?
もうね、部屋の中でアルコールでアタマブッ飛ばすしか無い訳です。


と、ここまでは自分の異常行動を正当化するための方便。
大体、そんな自分の不誠実の言い訳ばかり探して、自分に非が無いようにセイフティ・ネットを張っとく訳さ。小猾いね。いや小猾く無きゃ世渡り出来ませんって。

で、本題に行く前に終わる。
 

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