2012年9月8日土曜日

王様の耳はロバの耳と叫ぶ場所を選ぶ。


こういうところにモノ書くってのは無制限に人目に触れるわけで、自分以外の人間も絡んでくると、厄介なんだよな。
ここに僕が「自分のこと」しか書かないのは、承諾を得ていない他人のことを挙げると面倒に巻き込まれかねん、ということだ。
最近デビ夫人が「この人極悪非道です!」って実際は無関係な他人の実名と写真をブログに掲載したことがあったが、あんなの犯罪だよ。相手に経済的な損失を与えたようだしな。正義をはき違えている。世の中自分が正義だと思っている人間ほど厄介な奴は居ない。

という訳で、今日はなんの結果結論事実を示さずに終るという、もどかしい話。




知人女性のブログに、こんなエピソードが。彼女、生計のどれくらいかを文章関連で得ている(多才な方なので100%じゃないのね)、いわばそっちのプロ。

ある晩、遊び倒して電車で帰宅しようと都会の駅の通路を急いで歩いていると、向かいから歩いてきた若い男がいきなり

「一杯つきあってもらえませんか?」
これはナンパかと思い無視を決め込むと、
「今日一日、僕なにもいいことが無かったんです。ここでなにもなく帰ると駄目になってしまいそうなんです。」
といって立ち尽くして泣いていたそうだ。まぁそれでも無視して帰ったそうだが。

彼女の弁。こんなことが(ドラマとかじゃ無く)現実にあるのね。

現実にも関わらず、仮にこのエピソードを小説にしても陳腐で駄目よね。

実際にこんなの小説にでもしたら、「そんなこと、ある訳無いじゃん。」で片付けられそうだ。想像しても面白く無い。




事実は小説より奇なり、とはいうが。昔僕は2つほど「現実離れ」した体験をしたことがある。ひとつは「事件」がらみで、もうひとつは「ビジュアル」がらみである。
もちろんちょっと暈して表現している。

前者はもしその体験記を「当時」週刊誌にでも売り込んだら掲載間違い無し。ただし可能性は低いが、「消される」危険性を孕んではいた。世界中が大騒ぎになっていた。


後者は、ビジュアル込みで説明しないとまったく説得力が無い。いわゆる「音楽マンガが説得力持たない」のと同じパターン。

随分と摩訶不思議な体験をしたんだが、その映像を共有している人なら「ああそういうこともあるだろね」で通じるんだけどな。他の知らない人に話したことはあるが、みんなポカンとしてるか嘘だろ話大きくしてるだろ、といった反応。

両者ほんの数年の間に立て続けに起ったことで(デカい話がその2つで、小さなゴタゴタはその間もいろいろあった)、なんとなくその後信仰に目覚め神に帰依するようになってから、その手のことは起らなくなった。神のご加護です。

こっちの方がヤバいか。



で。つい先日あるマンガを読んでいて、「いやこのマンガみたいなこと、実際に体験してるじゃん。」と思ってその以前の体験を掘り起こしていたら、なんだかそれらしきを見つけてしまったんだな。随分と長い年月を経て。しかも意外な形で。

それがどれくらい意外かというと、(これもマンガかよ)ヘルタースケルターでスーパースターのりりこが事件を境に忽然と姿を消すのだが、その数年後、不意にメキシコのフリークス・ショウで彼女を発見する、というくらい意外。

今、ちょうど(ヘルタースケルターに例えるなら)フリークス・ショウに出ているのがりりこなのか?と疑っているくらいの段階か。



僕も歳をとった。護るべきものはあまり無いのだが、それでも若い頃のように身体や精神が思い通りに躍動はしなくなった。
今そのフリークス・ショウに出掛けて、りりこの現実を確かめるのか、それとも見なかったことにして平穏に暮らすのか、どうにも判断がつきかねるんだよね。
 

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