2010年5月16日日曜日

黒猫。

なぜか土日は天気が良く、曜日に関係無く暮らすおいらに損な気分を味あわせる。
暖かい陽射し、池袋の裏道を歩くと黒猫がその乱れた毛並みのまま眼前を横切り、昼間のだらしなく開いたソープランドの扉に入っていった。

客だよ。んな訳無いか。

ソープランドには行ったことが無いのだが、常に風呂を焚いている個室というのは湿気が多く、その作りは常に陽の射さないものでは無いだろうか。
高級「露天」ソープランドなんてものがあったら開放的でいいかも知れないな。空には満天の星。

おいらは行かないが。

経済活動というのは、モノ/サービスにカスタマーが見合うと思う対価を支払うことで成り立つ訳で。
例えばオタクさんが限定発売のアニメフィギアに10万円支払ったとして、そのちっぽけな合成樹脂の欠片になんで10万円支払うんだろう?と「物質」という観点からみれば摩訶不思議なものではあるが、それに価値を見出すことが出来るのならば10万円支払う人もいるのだろうな。
高級ソープランドで10万円、と言われても、対価に比して感情の交差の少ないセックスにその金額を支払う、ということはおいらの価値観では見合わないと思う訳だ。

なんでソープランドの話になってるんだ? ああ、黒猫が昼間の店の扉をくぐって行ったのがなんだかほのぼのとしていて面白いと思った、そこからだ。

他人が「なんであんな人と?」と思うような人であっても、その人の価値観に見合っている人となら交際したり結婚したりするのでしょうよ。
何億人いるのか知りませんが、人類の多く(ほとんどがオトコとオンナの関係において)が番いとなっている現状からすると、その価値観ってのは上手くマッチングする組合せってモノが地上に存在するんでしょうな。

組合せを見つけるのは、努力かね? 運かね?

ソープの次は恋愛論ですか。まぁ人間は色恋とセックスの話が大好きですからな。村上春樹氏の「ノルウェーの森」が流行ったのは、その理由のひとつには、あっけらかんと性描写が織り込まれているのが理由では無いか、と思うのですがどうなんでしょうね。おいら本を読まないのでヒットと性描写の相関関係について考察出来ませんが。

ノルウェーの森。ビートルズの曲名ですが、どうもやっぱり「ノルウェーの森」というのが「誤訳」である可能性が高いのでは、と思うようになって来た。
正しくは「ノルウェイ製の家具」ではないかと。英語に疎いので分からないんだけどさ。
まぁでも、男が女の家に上がり込んで「いいじゃない、ノルウェイの森」と呟く、その画自体は誤訳であってもクールだな。

レノンが、「このまま真っ当な英国市民として生涯を終える」ことに恐怖を感じて、家庭を顧みず数々の女性と関係を持ったことを描写した歌なのだけれど、
「このまま真っ当な市民として生涯を終える」ことに恐怖を感じたのは妙に共感するのだな。

じゃあどうしたいの?

うーん、別にしたいことなんて無いんだよねー。何かしたいってのは、訓練で身に付くのかな。小さい頃から別になにかしたいことって無いんだよね。

何もしたくない割には、こうやって無駄に言葉を並べて衆人の目に晒してるな。
その衝動が自分のどこから湧くのか。それを知りたい。
 

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