2010年7月31日土曜日

季節。

実家のごく近所に母の旧知の方がいて、母と同い年なのだが、お子さんが二人いた。
うちは子供(というか、おいら)が出来るのが早かったので、母と同い年でも上の子♀がおいらの6つ下、下の子♂は8つ下くらい、、、だったと思う。

おいらが中学校のころは頻繁に顔を合わせていたが、それ以降はあまり会うことが無かったな。最後に会ったのは、おいらが浪人明けで大学に入る直前の春、下の男の子に国語を臨時家庭教師として数日教えてあげた時だ。約20年前だよ。
その後、おいらは実家に帰っても家から出ることなんて無いからさ。近所の連中がどうなってるかなんて、知りはしないのさ。

ひょんなことから、その下の男の子をネット上で見かけたのだが。なんだか劇団の主宰をしているらしい。
そういえば、もう彼も30くらいかな? おいらの中ではずっと彼は5、6歳のおかっぱ頭のママなのに、実際は立派に髭をたくわえて、意志の強そうな力のある眼をしていた。

もしも彼と会うことがあったら、おいらは彼に5、6歳の彼を期待してしまうだろう。多分、というか確実に、それは彼の人格を捉えていないものだろうが。
長く知る人で頻繁に会うことが無ければ、意外と人は人の変な「時点」を記憶してしまうことが多いような気がするな。

いつも思うのだが、なぜ遺影はその死の近い時期の写真なのだろう?
その人が望む人生の季節の写真というものがあるのではないか?

おいらは赤ん坊の頃のモノクロの写真を遺影にして欲しい、と切に想っているのだがね。

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