2010年8月30日月曜日

陰惨っぽい話。

最近夜中にふと考えごとが始まって、しばらく寝付けなくなることが多い。

パタリロ!を枕元で読んでいて、正義とはなにか?を考える。
しかしなぜパタリロ?

正義とはなにか。
それは力である。
力とはなにか。
武力/経済力/自己正当性を論ずる能力。
それぞれ重視比率は違う。前者がより有効。
歴史は勝者のものである。
力のあるものが勝者になるのである。
正しい敗者、誇れる敗者になるのは困難だ、正しい勝者も困難だが。

なんだか正義なんて、どうでもよくなるな。
仮面ライダーやウルトラマンはなにと闘っていたんだっけ?
スーパーマンは地球人に比べれば相対的に力を持っているけれど、産まれた星では標準的な能力なのでは?
正義の味方って、なんだったんだろう?

では力の無いおいらはどうするよ? 
道化にでもなるのだな。

しかしなぜパタリロ?
とか考えていると、眠れなくなる。ほとんど意味が無い。結論があっても無くても有効ではないから。
眠れなくなるという事実だけが残る。



30年前、水泳大会の休憩時によその家族が持ち込んだ漫画「鉄腕アトム別巻1」の中の一篇を読んだのが脳裏に焼き付いて離れず。昨年だったか、Amazon で購入した。

【 アトムの最後 】

これを子どもの頃に読んだのは、多かれ少なかれおいらの人格に影響してるんじゃないか。

「これを描いた時代は急進的な学生運動がはやり、漫画や劇画の内容も暗くてニヒルなものが多く、それらの影響を多分に受けた作品です。いつ読み返しても、陰惨で、いやーな気分がします。アトムはほんのちょっと登場するだけですし、これがアトムの全作品の最後だとは思っていません。」

とは作者手塚治虫の弁。
そんなこと言われてもなぁ。おいらの頭に30年も残っちまったよ。

んで。ストーリーの主流とは関係無いが、子ども向け漫画で子どもに対する恐怖心を植え付けるのってさ。

実は親が「悪」だった

ってのが怖くない?
このパターンって当時よく使われてるよね。母ちゃんがデーモンだったとか蛇女だったとか。
子どもは家にしか拠り所が無いからさ。それが無くなるってのは、マジで恐怖だよ。
うちの鬼母なんかと暮らしてたら、こういうの結構リアリティあって怖かったもんだ。

とか言ってると、最近おいらのそんな戯れ言が洒落にならんような「鬼」が沢山実在するようだな。

陰惨な気分になるね。
 

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