2012年6月25日月曜日

ことだま。

お元気ですか。そりゃ良かった。さて今夜も暗い話につき合いますか? あ、そう。
お気に召すまま。


おいら人生でなんだか大きく引っ掛かってる疑問てのが在ってだね。ここでもよく言ってんだけど。

  人格は先天的か後天的か。

これを知ってから死にたい。もちろん、人格は先天的であり後天的であるのだよ。そんなことは分かっておる。
ただその比率というか割合というか、は均等では無いでしょうよ。なんだか、それを知りたいの。

さて。
よく理解し難い猟奇的犯罪とかが行われてだね。そうすると犯人の家をガサ入れしてさ。随分とエグい表現物、それは漫画だったりゲームだったり映画だったり、が発見されると

「そういった表現は規制されるべきだ。」

って言い出す輩が居たりしてね。物議を醸す。おいらが高校生の時に起った連続幼女殺害事件。宮崎勤事件だよ。これは当時の日本国においては衝撃的な事件だった。そしてその部屋の中から「ヤバい」表現物が見つかってね。

「そういった表現は規制されるべきだ。」

って言い出す輩が居たりする。

さて(2度目)。
そういった意見に対する個人的な考えなんだが。

1.
そういった刺激を受けたところで犯罪やらかすのとやらかさないのは個人の問題であって、表現を規制したところで問題の解決にはならんのだよ。

というのがおいらのベーシックな意見。但し。対立する別の意見もおいらの中にある。

2.
他者の表現から学習することによって自分で表現をしていく。

という側面もあるのだと思うよ。
刺激を与えられない環境下で成育した人間は、どのような表現をするのだろう?
という疑問。

昔、ここに
「男は生れついて男っぽく、女は生れついて女っぽい。」
という研究結果があることに言及したことがあったが。
猫は教えなくても便所で用たすしな。
その一方で、飼育環境下で育ったパンダに性教育をするって話もあるよね。
中華人民共和国では性教育がタブーだから日本製のアダルト・ビデオを観てセックスの仕方を覚えるとか。本当かどうかは知らないけどさ。

どこまでが先天的で、どこまでが後天的か。分からん。

人は他者の表現から学習する。そういうもんだと思う。おいらは、言葉というものがとても大切だと思うんですよ。他人の言葉が累積して、その選択で人格ってモノは作られると思うのね。
だからね、おいら「言霊」ってのは実在すると思うのだよ。
他者の言葉の累積で、その選択で自分の人格という物は作られる。どの言葉が残るのか。それが個性というモノではないかね?

とかピンク・ジンで酔っぱらって書いてんだが。


いやね、最近さ。頭の中で

「帰る場所が無い。」

って言葉が頭ン中グルグルしてんの。おいら帰る場所が無いんだよ。
んで、その

「帰る場所が無い。」

って言葉がさ。自分のオリジナルなのか、誰かの言葉が染み付いてんのか。
自分の中でその言葉を反復することで勝手に「帰る場所が無い。」と思い込んでんのか本当に「帰る場所が無い。」のか。

それを知りたい。

今日も帰る場所が無くって、途方に暮れて酔っぱらう。
ノー・ディレクション・ホーム。
途方に暮れる。帰る場所が、無い。
 

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