2012年3月20日火曜日

大切ごっこ。

今回は予め言っておくが、かなり病んでる系。
不謹慎というか、倫理とか道徳とか上問題がある内容かも知れぬ。
書く方も分かっていて書いてるのです。反論とかそういうのはして頂いて結構ですので、感情で押しつけないでね。こっちも正しいと思ってる訳じゃ無い。極論を言ってるだけ。



なんだか「命は大切。」みたいなことをしたり顔で言われるとしらけるのね。俺、いいこと言った、みたいな。そんな命は大切かね。安直に言ってない?
命の定義も難しいがな。植物と動物の命は別物かなぁ。とかね。動物は喰っちゃダメだけど植物ならいいのか。鰯とお宅の飼い犬の命は同じに扱える か。牛は喰っていいけど、鯨はダメだとか。はやくインドに世界の覇権をとって欲しいよ、ヒンズー教が世界を征する時、牛を喰う野蛮人は蔑まされる。

人間の命は重い。とか言っても、生まれた土地や肌の色で値段は違う。
NYのビルに飛行機突っ込まれて死んだ人の命の値段とアフガンで結婚式のパーティー中に誤って爆撃されてで死んだ新婚夫婦の命の値段が何桁違うか知ってる?
肌の色が濃いだけで人命に値段がついていたのは何年前だと思うよ。

強者の命は大切。この方がしっくりくる。人間は「平等」では無い。
日本で「命は大切。」なんてしたり顔で言ってる奴らがいるのは、日本ってのはある程度強者の国だからなんだと思うよ。最貧の国では、産まれた子供が成人する確率なんて相当に低いだろうからさ。死んだら、また産みゃいいんだよ。
デカい声で言われないだけで、「間引き」ってのは行われていたらしいからね、貧しい頃の日本では。

結局、他者に対して関心を持つ余裕が出来て始めて「命は大切。」とか言われるようになる訳で、そんな「言葉」が蔓延すると、「命は大切。」とかしたり顔で言ってると、俺っていいこと言った。みたいな。正直、気持ち悪い。



ちょっと前に、二十歳過ぎの女の子が、自分の腹から出てきた子供二人をアパートの部屋ん中放り込んで、そのまま数ヶ月帰らず放置して、餓死させたって事件があって。

判決。懲役30年。

これ聞いた瞬間なんだが、「え、そんな重いの?」と思った。
いや、前後考えず、ふと瞬間そう思っちまったんだからしょうがない。

日本で殺人を犯した場合、大体2人殺すと死刑というのが「相場」らしい。
(人の命にも「相場」があるらしいよ。)
そう考えると、2人死んでるから最悪死刑もあったかも知れん。そう考えると懲役30年ならよしとするかね。殺意の有無とか、計画性とか。いろいろ考慮されるんだろうけどね。

この母親、アマチュア界ではそこそこ有名なスポーツ・コーチの娘で、早くに母親がいなくなって云々。早くに結婚し、云々。
子供が出来て、その喜びをブログに綴ったりしていてさ。その文章の愛情の表現。とても愛らしく、いや、子供を愛づる母の思いの微笑ましさというかさ。
(そこからの結末のおぞましさを考えると、人の心って移ろいやすいのね。)

女は離婚し、女手ひとつで二児を育てるためにキャバクラだのファッション・ヘルスだので働いて、もう、嫌になっちゃったんだろうね。親とも上手くいってなかったらしいね。どこにも頼る所は無かったんだろうさ。
こういうこと言うと、「同じ境遇でも頑張って子育てしている人は大勢いる。その人達に失礼だ。」ということも言われるだろうし、それはそれで至極真っ当な言葉だと思う。
結局母親になるには未熟で、且つ環境も整っていなかった。そこまでは同意してもらえるかね。彼女は成熟して、よい母親として更生出来るかね?

懲役30年ね。20いくつかの彼女も、仮に全期間刑に服すと、出所は50過ぎだよ。
50を過ぎて娑婆に戻った彼女は、もう肉体的に「母親」になることは不可能だろう。つまり彼女は「母親」になる機会を奪われた訳だ。ふと思う。
これは亡くなった子供達による、言葉無き静かな報復ではないか。
それならば、この量刑も真っ当なのかね。 
 

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