2012年3月24日土曜日

結婚。


本当は前回書いたのと続けて一本の予定だったんだが。長くなるのもなんだしな。
と思って分割。読み手に優しい心遣い。
----------------------------------------------------------------------


ふと地下鉄に揺られながら、「結婚したいな。」と思った。

40歳も過ぎてこの美貌アーンド財力、精神の高潔さ具合からすると当然の如く優しくて芯のある美しい妻がいるもんだと誤解されがちなのだがね。
(なんか間違ってる?)
知り合って間の無い人においらの女性関係を説明するのがとても面倒臭い。
「結婚は?」
「彼女は何人いるの?」
「お宅にいる猫って女でしょ?」
「おまえ、実はホモ?」
という会話を10年以上も繰り広げている。時間の無駄。

基本的に男と女が寄り添って生きるのが当然のような「社会的誤解」から改善しないとならんな。
ふと思ったのだよ。「結婚」という概念はどこから派生し、どう伝播したのか。ということについて。

雌雄別がある生物では、雄と雌が交合することで両方の遺伝子を持った、より強い可能性のある子孫を残す。その仕組みは、分かる。
だから勝手に男と女がセックスして子供作ってくれる分には構わないんだけどさ。
そこに、どうして人類共通の概念として「結婚」というものが生まれたのか。

「結婚」って、概念だからね。
男と女が同衾して、契約外の異性があまり入り込まないようにして、共同で子供を育てる、というのを法律=ルールで定めたものだろう。
なんでこういうものが世界同時発生的に?もしくは伝播?して地球上に席巻したのか。

今思ったんだけどさ。
人間って、他の生物と比べ比較的子供が未熟な状態で産まれる訳よ。そしてそれが自立するまでにかかる時間って異様に長いのね。
そうすると、子供を育てる機能を持った性、つまり女にとっては結構な負荷な訳だ。
しかも子供一人にそんな時間かけてたら一生の間に残せる子孫数は少な過ぎる。
であるならば、

 ・極力子育ての負荷を協力体制で分散したい。
 ・特定のパートナーにそれを負わせれば、複数子作ることも可能。

という女事情で作られたのではないかね?どうだろね。だから男の浮気、自分を蔑ろにして他者に注力、場合によっては出て行くという行為に不寛容なのかもな。
そうすると、この少子化時代、結婚の必然性は薄れる。

未だユダヤ教では「結婚して男は初めて一人前」なのだそうだが、それならおいら不惑過ぎても少年か。オゥボーイ。


結局さ。もう日本の社会では「結婚」という制度を維持するには相当な意味付けが必要な環境になっているのだと思うよ。であるならば、その意味とはなにか。
で、また個人的な意味合いなんだがさ、おいら「他人に受入れられる」ことで自尊心を満たしたいのだと思うよ。あくまでも個人的な見解ね。

猫と5年暮らしているのだが、猫を我家に入れた理由は
「自分は他者と関わることができるのか? その実験。」
だからね。
そしたらうちの猫、気持ち悪いくらいおいらのことが好きなのだよ。おかしくないか?人間は誰もおいらのことを受入れないのにうちの猫だけはべったりなんだよな。これじゃ実験にならんだろうが。

とか考えていたら、「結婚したいな。」と思った。
自分がどこまで他人に受入れられる存在なのか、試してみたいのね。
 

0 件のコメント:

コメントを投稿