2010年10月13日水曜日

好き。

働いていた頃の話だが。

別の部署の若い奴で、体力はあるしいつもヘラヘラと笑っているし明るくて前向きなのだが、どうにも使えない男、というのがいて。
仕事が絡まなければ「いい奴」で済むのだろうが、仕事が絡むと苛つくだけなんだよな。まぁ端的に言えば「バカ」なんだが。

で、ある日突然社内でその男が結婚する(できちゃったらしい)という話を聞いて、おいらが発した言葉は

「あいつは、隙があるからな。」

だった。明確に覚えている。
その時認識したのだが、おいらのなかでは

「女に現抜かすような男は、隙がある奴だ。」

という図式が無意識の中に構築されていた、ということだ。
ふーん。

まぁ確かに自分でいうのもなんだが、30代大半をおいら「隙無く」過ごしたような気がする。
一日中愚痴や暴言や上司と喧嘩なんかで過ごしていても、「結局あいつに任せとけばなんとかなる」と思われてたから、なにやっても許されていたんだろうな。
あんまり隙がない。

まぁーあ今現在は、隙だらけだよ。ってか吹き抜けだよ。風がビュービュー通り過ぎてるよ。まぁそれは置いといて。

世の中「だめんず」好きというのがいてだな。人は「欠けた部分」というものが魅力になったりするものなのだろうな。
女性がモデルみたいな体型を目指したりするのに対し、男が好きなのはほんのり脂肪がのって小ちゃかったりする子だったりする。

「あの子は、俺が守ってやらないとダメなんだ!」

あ、そう。

この傾向は、なんなのだろうね?
弱い者を、守る自分が好きなのか? 男:勇者願望? 女:母親願望?
もっと「整った」人を好きになればいいのにさ、なんであえて欠けてる「弱い」人を求めるのさ?
とすると、あんまり人に愛情を注がないおいらは実は「最弱者」に位置づくのかも知れないな。実は弱過ぎて「他者を守る」まで気が回らないのか。知らんが。

とか言ってもな。

おいら強い女の人は、好きだよ。強い女の人の弱点を見つけるのが楽しいじゃん。嫌な奴だねぇ、相変らず。あんまり弱みを見せない人程、抉りたくなるね。宝探しみたいなもんだ。
ああでもキャリア・ウーマン型のタイプは、突っ張ってるように見えて結構安易に弱みを見せるから嫌い。マジメなんだけど単純な人が多いように思うよ。影で泣いたりしてさ。
それとは別のタイプね。ふとした寂しげな目が好きだな。

ああ、そうすると小さな目の人は、それを見落としてしまいがちだから好きじゃ無いかも知れない。なんじゃそりゃ。

2010年10月6日水曜日

モノクローム。

free as a bird がリリースされたのは1995年の暮れのことだった。24歳だった。生まれて初めてきいた the beatles の「新曲」だった。

単調でゆったりとした8ビートの上に、膜がかかったようなジョンの声がきこえる。鼓膜をザラついたスライド・ギターが掻きむしる。眼前の光景の輪郭は、線がぼやけはじめ、色彩は失われていった。
「モノクロのサイケデリックだな。」
そう思った。

その年の夏デスクに座って新聞を読んでいたら、ジェリー・ガルシアの訃報がほんの小さく、隅っこに載っていた。グレイトフル・デッドのリーダー。思わず声を出したところ、女は
「デッドなんて知ってるの?」
と呟いた。女からすると、お堅い「サラリーマン」はデッドなんて聞くもんでは無いと思っていたらしい。
女はビートルズでは sun king が好きだと言った。ずいぶんと不思議な選択だと思った。

季節はかわり暮れになり、リリースされた free as a bird のシングル盤CDを
「クリスマス・プレゼントだよ。」
と言って女に渡す。もう山頂で雪崩は始まっていたので、落ちる以外に選択肢は無かったのだ。

その頃、俺は音程をとりながらロング・トーンで叫び、ディレイで声を反復することに成功していた。なかなかいい感じだと思った。バックではアコースティック・ギターとコンガが鳴っていた。ギターはバート・ヤンシュ風だ。
まだしばらく「未来」はありそうだ。時間は多くは残されて無いが、悲観的になる必要も無い。それまでに、も少しですべてが手に入るのではないか?と思った。


年月を経て、予定していた未来なんてものは、もうとっくに消化しちまった。
今まわりを見渡すとなにも無く、それは殺風景で、しかし free as a bird だけはまだそのまま残っている。プレイヤーにかけると、いつでもその頃と同じように「モノクロのサイケデリック」な光景が眼前に広がる。

居残るものと、過ぎ去るものがある。free as a bird は残った。それはよいことだ。そう思った。
 

2010年10月1日金曜日

ピンク・ジン。

アンゴスチュラ・ビターズを2振り。ジンを60ml。
パティ・ボイドの伝記を読んでいたら、彼女の祖母が好んで飲んでいたそうだ。
祖母の香りはピンク・ジン。

これは、悪魔の酒だな。堕ちたいときだけ作る。
頭の中は歪に回転し、心は内と外を入れ替えて、口から外に飛び出す。インサイド/アウト。胃粘液は黄色く、触れるものを溶かす。
サイケデリックの昆虫は皮膚下で腐肉を喰い荒らす。ウジ虫は蛹となって悪意の関節をもった羽虫となる。その羽音は、鼓膜を羽根で撫で回す。乳首で体側を撫で回す商売女が、男の絶頂を見届ける前に首元を噛み切る。
緑の血流は床でピンクに変色する。色盲の弟は、意味が分からないと首を振る。緑色の渦は回転する。ただ、その回転が時計回りなのか、その反対なのか、幾重にもなった渦は起点と終点を、それは持ち合わせているはずなのに、あたかも無かったかのように、ただ存在するのは回転しているということ。
回る。渦。色は、色彩は意味を無くして薄れていく。モノクロに近くなったところで、母に尋ねる。色とは?
「色の名前に意味は無い。」
名前によって規定されないものは、区別を持たない。アイデンティティを失ったその塊は、ただ気紛れに回転運動に参加するだけであった。


というところで、酔いが覚めた。ピンク・ジン、一杯目。
 

2010年9月28日火曜日

なんとなく書き出したら同性愛。

動物の同性愛というのは、結構一般的らしいな。

おいらの女っけの無さ具合は有名なので、よく同性愛者の噂を立てられたもんだった。残念ながらおいら「肌の質感」と「肌のにおい」を重視するので男では満足出来ませんことよ。ってか積極的に男は嫌い。
20歳くらいの頃はよく同性愛者に狙われたなぁ。逆に今は狙われなくなったな。いいんだけどさ。

街で男同士女同士2人でつるんでるのって、実は他の動物の行動学的には同性愛に当たったりして(適当に言ってるだけだよ)。
そうすると女とも男とも一緒にいないおいらは、愛の無い生活なのねん。どっちにしてもモテネェんだよ。

朝、初めて中村うさぎ女史からツイッターの返信をもらったのだが、佐良直美の話題だった。30年前にレズビアンがばれて芸能界から消えた人。今なら考えられないよな、という話でした。

中村うさぎ女史の旦那は、ゲイね。だからあの夫婦にはセックスの関係は無い訳ですよ。それでも夫婦という関係が成り立つ、というのが面白い。「夫婦」という概念について、新しい可能性について呈示しているような気がする。

夫婦ねぇ。おいらは性欲の湧かない相手との夫婦関係というのはいろいろ面倒臭そうで嫌だな。夫婦って、なんだ?
うーん、中村うさぎ夫妻の関係にその答えがあるような、無いような。
 

2010年9月25日土曜日

交差点。

自転車にまたがって、気付いたら田端にいた。田端ってどこだよ?

道を走りながら、
「ああここ曲がったら迷っちゃうなぁ。」
と思いながらその角に吸い込まれていく。この癖は治らない。
だから、できるだけ身軽でいなくては。迷った時に、荷物は邪魔だ。
全部さようなら。置いていくよ、猫も。ひとりで強く生きるんだよ。

黙ってじっとしていると、気付かないうちに錘りが巻き付いていたりするものだ。そうすれば、身軽ではいられなくなる。

このまま山手線の外側へずっと外れて行くならば見た事の無い風景を見たのだろうが、そこまでのリスクはとらない。そんな小市民的なところがこの人の限界だ。

上野に出る。いつものような不忍池。いつものような。いつものように。
ストレンジャー・ザン・パラダイスの台詞。
「なんだ、こんな遠くにまで来た筈なのに、 見たことのあるような風景ばかりだよ。」

見たことの無い色。あなたが最後に「それまでに見たことの無い色」を見たのは、いつですか?

へんな交差点を曲がってしまったが為に、それまでに知らなかった通りを沢山通ってしまった。どれも見たことのあるような風景ばかりだった。

2010年9月17日金曜日

猫。

ちょっと嫌なことがあったので、真っ暗な部屋の床に寝そべってストロウベリ・フィールズ・フォエヴァを聴いていた。大きな音で。

嫌なこと、というのは、外的な要因ではなく、自分の中から湧き出て来た負の感情だ。自分の弱さを認めるというのは人間にとって堪え難いことではある。少ない酒で酔いが回る。

ストロウベリ・フィールズ・フォエヴァ。
かの地に行きたくて10年程前飛行機に乗った。おかげで、行きたいところが無くなった。出雲とストロウベリ・フィールドが俺の聖地だ。

それはさておき。

暗闇で寝そべると、気配を感じる。それは体側に近づく。猫。ルビィちゃん。美しき馬鹿猫。
目を閉じたまま、俺は奴の尻尾の先を、意地悪に掴んだ。そして、絶対放さない。

尾を拘束された奴は、抵抗を試みる。試みとして、俺の、腕を、なめまわした。


噛むでも無く。引っ掻くでも無く。奴は、なめる。
俺を憎んで、それでも俺の腕をなめる猫を不憫に思ったので、俺は手を放した。
誰に似たのか。馬鹿な育て方をしたもんだ。
 

2010年9月9日木曜日

もっと。

風が涼しいですね。最高気温は30度らしいですよ。30度と言えば充分に暑い温度なのに、35度が標準の生活を送っていると、もの凄く涼しく感じます。
環境というものに人は慣れるのですね。

岡崎京子の漫画で「幸福を恐れる者は幸福にはなれない」みたいな台詞があって、彼女の漫画ならば誰かの言葉の引用かな、と思いつつ、それは真実かも。
などと思ったり。
人生で唯一「幸福感」のあった頃、「ああ、これはもうこういう感覚は最後だな。」と思った。
言霊だな。次に「幸福感」を得たら、「もっと。」と思おう。

もっと、もっと。感覚が麻痺するくらい。


さーてと。今日は特別することはありません。逆ギレしたい。でもおいらがキレたところすら見たことのある人はいないだろう。感情を抑制するんだな。誰にも分からないように。
っていうか、感情があるのだろうか。愛情は薄いけどね。