2010年11月16日火曜日

B&G 。

幼子を抱える、とある母親が
「息子は男の子の遊び、娘は女の子の遊びを自然に選択している」
ようなことを言っていた。

よく性同一性障害の方が、
「気付くと女の子のような格好や遊びに興味を持っていた」
と戸籍の性と逆のことをするようなことを言っているのを聞く。

そうすると、男性的とか女性的ってのは本能的なものなのかい?
例えば男女含む新生児を、すべて男性か女性の片方の大人だけに接触させて成長させると、どちらかの性に偏った人格になるってことはないのかな?後天的影響で。

こういうの、ジェンダーっていうのかね。あんま詳しく無いんだが。
おいらゲイでもオカマでも女装家でも無いんだが、あんまり社会的な男性的役割というものに対して関心が無いのだな。面倒臭い。


非常に、人格が「先天的」なのか「後天的」なのかに興味がある。
多分、これは一生考え続けるだろうな。答えは見つからないのだろうが。
「自分」というものが、産まれ落ちる前から決まっていたのか、環境によって作られたのか。
(いや、両方から影響受けてるのは当然だけどさ。偏りがあるのかってことよ。)
結構ね、この問題がおいらの中で大きな領域を占めてるのよ。告白するとね。
何故かまでは言わんが。

まぁでもこういうことを延々と考えていると、副産物としていろいろ産まれるからいいよ。思考を拡散するのが得意なのだな。
拡散された末端は、根っこからかけ離れていて、それはそれでちょっと複雑なフリをするにはね、便利だよ。ふーん。


【追:性差が先天か後天か、ということの研究について記述あり】
http://jack4afric.exblog.jp/14592601
 

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