三月十二日。
流石に、人生最大の地震経験だったな。東京千代田区のビルの5Fにいたのだが、延々と揺れた。横にも揺れたが、縦にも揺れた。縦揺れが来た時に
「これは近いな(震源地)。」
と思ったが、ヤフーで宮城だって知ったときはビビったよ。東京でこんだけ揺れてるんだから、宮城はどうなのさ。
長く、何度も揺れたので地震酔いを起した。船酔いなら船から降りることを想像すればいいのだが、地震では降りるところも無い。
ツイッターでテレビ画面の写真を送られるのをみて、愕然とする。津波だ。
二度目の大揺れの時、僕の席が一番非常階段に近いので、扉を開ける。近隣ビルの人達は結構大勢ヘルメット被って下に降りて行ったよ。
僕の新しい会社の人達は、どうなってんだろうねーみたいな感じでもの静かになにもしていなかった。
随分経ってからみんなで避難することになったが、どう考えてもタイミングを逸していたな。北の丸公園に着いた頃には他の会社人の人達は解散しているようだった。
うちの会社もその場で解散。
解散といわれるので、僕はひとり歩いて帰っちゃったよ。解散だからいいんだよな。よく分からんが。
午前中からとある料理のことばかり考えていたので、延々と歩きながらセロリとピーマンとビネガーのことを考えていた。
武道館では遊助のコンサートということで、ファンが次々と集ってきていた。中には非常線が引かれて入れないけどね。しばらくして「延期です」とメガフォンで発表。みなガックリしていたよ。いや、どう考えたって無理だろ。
目白通りは多くの人達が流れている。高架下では人波の中ホームレスが寝ていた。守るものが無い人間は強い。本当だよ。守るものを作ると大変だ。
僕が一番心配したのはCDだ。地震の揺れの最中、僕は
「誰を守るのだろう?」
と考えたが、誰も思い浮かばなかった。誰もね。
途中小さなスーパーがあったので、セロリとピーマン、マッシュルームを買う。ビネガーが無かったのだが、ミツカンのデカい瓶の酢を手に取る。もう 少しで買うとこだったが、瞬時別の方法を思いつく。「ビネガー+砂糖」を使う予定だったのを「味醂+α」で解決しよう、そうしよう。
セロリをかかえてJR駅前を通る。シャッターを降ろしていた。夕方18時の山手線の線路を、撮影している人がいた。一切の光を持たない山手線の線路は異様だ。
帰宅。玄関の1000枚CDラックは、予想通り300枚程ぶちまけられていた。ガックリ。ガックリだ。
吃驚したのは、うちのベランダへのガラス戸、バカでかくて分厚いガラスが二枚入っている、つまりもの凄く重い引き戸が、(鍵をかけ忘れていたのだが)勝手に30cmくらい開いていた。
でもそれくらいだったよ。家の被害はね。
テレビをつけて、調理を始める。ガスが止まっていた。でもスイッチ入れて復旧。調理中余震があったが、すぐガスが止まった。逆に安心する。
頭の中で作った通りの味が出来た。トマトケチャップを知らない人がナポリタンを作ったらどうなるか、というのを試してみたのだ。
ひとりいつものようにテーブルについて、ナポリタンを食べながらテレビを見る。
世間の混乱と対比する日常風景が異様だった。東京は帰宅難民の問題で大騒ぎだった。
あれ。帰ってきてよかったのかな?
あまりも日常の食卓とテレビ画面が異なる。千葉で燃料タンクが地上を炎と煙りに包んで燃えている。津波で家々が流れて行く。ゴミと家が一緒に海に棄てられている。余震は続く。地震酔いが治まらないな、と思いながらひとりナポリタンを喰う。
猫がCDケースの欠片で遊んでいる。うちの子は、野性を失ってひとりでは生きられない。いざとなったら、置いていくことも考えないといけないな。
そう思って抱きしめる。そうだな。僕は自分の子供も棄てるだろうよ。
そんなもんだ。
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